「しかし御心のままに」

礼拝日時:2026年2月22日(日)10:30~
説教題:「しかし御心のままに」
聖書:マルコによる福音 第14章 32~42節
説教:松島 基紀 修養生
賛美:「主よ命の言葉を」「生きる甲斐もなしと」

◆送迎バスの東村山駅の出発時間は10時10分です。

「しかし、御心のままに」

今日開かれた御言葉はゲッセマネの祈りと呼ばれるとても有名な箇所です。十字架に
かかる時が一刻と迫るような中で、主イエスがされたのは祈りでありました。それも
死ぬほどに苦しいと言われるような困難の中で、できることならこの時を過ぎ去らせ
てほしいと願いつつも、御心にご自分を委ねる祈りをなさったのです。

 この主イエスの祈る姿を見て、またその祈りの内容を見て、これを模範にしようと
思うのではないでしょうか。どんな困難の中でも御心を求めて祈る。しかしそうも簡
単にいかないのが私たちの生活です。そのようになりたいと願いながらも主イエスの
ようには中々祈れないのが私たちです。

 今日のテキストにも祈れない人たちが出てきます。ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、3人
の弟子たちです。彼らには共通点がありました。それは、主イエスのためなら命を捧
げることができると言ったものたちなのです。そのような心はやるような姿勢を見せ
つつも、その愛する先生である主イエスが苦しみながら祈っている横で、彼らは祈る
ことができず眠りこけていました。

 そんな弟子たちに主イエスは「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。
心ははやっても、肉体は弱い」と言われました。「心は燃えていても」とも訳されま
す。弟子たちの心は燃えていたはずです。しかし肉体の弱さゆえに目を覚まして祈る
ことができなかった。そのために主イエスは祈りによって備えるようにとおっしゃら
れた。にも関わらず二度、三度と寝てしまう弟子たちです。それは私たちも似たもの
かもしれません。

 ここで私たちが目を留めたいのが主イエスご自身です。このところで誰よりも心燃
やして祈られているのは主イエスです。「しかし、御心のままに」という祈りはイヤ
イヤながらではありません。祈れない弟子たちのために、私たちのために、その罪を
背負って十字架に心燃やしながら向かわれるのです。苦しみが待っていることを知り
ながら、父なる神の御心にご自分を委ねられたのです。

 このことを覚える時、ゲッセマネでの祈りというのは単に模範にすべき祈りではな
いと思うのです。これほどまでに徹底して、神に信頼することのできるお方はキリス
トのみだからです。しかしその方の十字架によって開かれた道があります。どれだけ
祈れなくても、そういう私たちを愛して、命を捧げてくださった方を仰ぎつつ祈る道
です。自分の弱さを認めつつ、なおそこで注がれる十字架の憐れみによって祈るもの
とされましょう。

東京聖書学院教会

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