「イエスの献金 」

礼拝日時:2026年2月8日(日)10:30~
説教題:「イエスの献金」
聖書:マタイによる福音書  第17章 24~27節
説教:齋藤 善樹 師
賛美:「天つみ使いよ」「日ごと主イエスに」

◆送迎バスの東村山駅の出発時間は10時10分です。

イエスの献金  マタイ17:24-27
主イエスがなさった奇跡は数多く聖書に記されていますが、この奇跡ほどユニーク
で、奇妙な奇跡はありません。魚を釣って、その口の中に銀貨があって、それで税金
を納めたというくだりは、まるでおとぎ話だと現代の学者は言うでしょう。このエピ
ソードが歴史的事実だったのか、そうでなかったのかを議論しても意味はありませ
ん。この記事を通して聖書は私たちに何を語っているかを学ぶことが大切です。
 ペテロは、徴税人から「あなた方の先生は神殿税をはらっているか」と聞かれ、
「払ってます」と、答えました。神殿税とは、神殿を維持するための費用に使われま
す。昔から定められている献金のようなもので、すべての20歳以上のユダヤ人男性
に納める義務がありました。年に一度、銀貨半分のお金を納めるのです。今で言うと
2万円のほどの額です。税金は国民の義務ですが、献金は文字通り献げ
税金について問答があった後、ペテロは家に帰って、このことをイエス様に何と話そ
うかと考えていたかもしれません。言い出しにくいことだったでしょう。家にそんな
現金がなかったのかもしれません。しかし、家に入るなり、イエスの方からペテロに
声をかけてこられました。「シモン、王様というものは国内で税金を集める時、誰か
ら集めるのか?自分の子どもたちか?それとも他の人達からか?」「他の人達だと思
います」「では子どもたちは納めなくても良いわけだ。けれども彼らをつまずかせな
いように納めることにしよう。」 イエスの「納めなくても良いわけだ」という言葉
は、正確には「では彼らは自由だ」です。イエスは神の子、王の子、だから税金を納
める義務はない。納めても納めなくても自由なのだということです。次の言葉、「で
も、彼らをつまずかせないために」の「つまずかせる」という言葉はギリシャ語で、
「スキャンダリゾー」と言います。英語のスキャンダルの語源で、もともとの意味は
罪を犯させるという意味です。彼らが心を乱して悪いことにならないようにという風
に言えるでしょう。だから、進んでお金を納めようと言われたのです。この時点で、
イエスとペテロにとって、神殿税は強制的に納めなくてはならない税金から献金へと
変わりました。「分かりました。献金しましょう。ただ家にお金がないのですが、ど
うしましょう?」イエス様ほど有名で、多くの群衆がその周りに集まり、何千人もの
人を養ったり、朝から晩まで人々の病気を癒したりしながら、4万円の税金を納める
お金さえ持っておられなかったのです。「どうしましょう?家中かき集めても足りま
せん。近所から借りてきましょうか?」「湖に行って釣りをして、釣れたら魚の口を
開けてみなさい。中に銀貨があるから、それをあなたと私の分の神殿税として納めな
さい。」ペテロはこの奇妙な言いつけを忠実に守りました。
 神に献げる献金とは、自由意思によるものです。イエスご自身が私たちのためにご
自身を献げてくださいました。決して強制的にされたのではありません。自ら進んで
そのことをしてくださったのです。世の中は、見返りを求める取引のようなものだけ
で成り立っているわけではありません。世界の本質は、見返りを求めない献げるとい
う行為で成り立っています。親が子のために時間や労を献げます。何より愛を捧げま
す。いちいち見返りを求めていたら、何も出来ません。夫婦の間も本来そうです。友
人同士でも肝心なところはそうなのだと思います。神がそのようなお方です。イエス
様自身がそうされました。見返りを求めないで、人を癒し、時間と労を献げ、ご自分
の命さえ献げられました。私たちは人に献げ、神に献げるために存在しています。献
げる人生を神は祝福して下さり、微笑みをもって私たちに必要なものを備えてくださ
るのです。

東京聖書学院教会

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