礼拝日時:2026年3月1日(日)10:30~
説教題:「子どもの心をもって」
聖書:マタイによる福音書 第18章 1~5節
説教: 齋藤善樹 牧師
賛美:「イエスは汝を呼び給う」「主がわたしの手を」
◆送迎バスの東村山駅の出発時間は10時10分です。
子どもの心をもって マタイ18:1―5
イエスの弟子たちは、「天の国では、誰がいちばん偉いのでしょうか」と尋ねまし
た。一体、天国に位のようなものがあるのでしょうか?弟子たちは、天の国とは、今
にもこの地上で建て上げられる王国のことを考えていたようです。その時には、イエ
スの弟子たちの中で誰が一番偉い地位につくだろうと問うたようです。
この時、彼らの間でライバル意識が盛んで、幾度も誰が一番偉いかなどと議論して
いたことが聖書に記されています。ライバル意識だけなら良いですが、嫉妬心もあっ
たかもしれません。私たちは誰かが自分より秀でていたり、特別な扱いを受けると複
雑な心境になったりするものです。しかし、イエスは近くにいた子どもを前に出し
て、ご覧、この子を!心を入れ替えて子どものようにならなければ、天の国に入るこ
とさえできないと言われました。社会で子どもは弱い者の代表です。子どもは力が弱
く、経験もないし、無知です。自分がゼロになること、そこからスタートすることが
天の国に入る条件です。だから、子どものようなものが天の国で一番偉いのだと言わ
れました。 子どもは自分の弱さを知っていますから、誰かに頼り、物事を教えても
らわねばなりません。子どもは大人よりも心を入れ替えることに長けています。大人
になるといろいろなものを身につけて、入れ替えることが難しくなります。子どもは
友だちと喧嘩をよくしますが、しばらくすると何事もなかったかのように一緒に遊ん
でいます。大人はそれができません。関係がおかしくなると、何週間も何か月も、何
年も、或いは一生関係が回復するのが難しくなったりします。
イエスは、今の私の生活の中に神の国があると言われます。天の国の素晴らしさ
は、今、ここで経験することなのです。確かに天国は未来において完成するものです
が、今ここに既に始まっているのです。そして、そこで生きるには子どものようにな
ることだとイエスは言われるのです。それを少しでも経験するところが教会です。教
会ではだれが一番偉いのでしょうか?子どものように無知で無力であることを知って
いること。父なる神を信頼すること、相手から何かを学ぼうとする心を持つ人です。
子どもの特質として、遊ぶ心を持つということも加えたいと思います。神は人間に
人生を楽しむようにも創造されました。小さな子どもが一番安心できる時は親が近く
にいる時です。親がいると分かっていると安心して遊びます。今、教会で二つのグ
ループがエクササイズというテキストを使って学びの時間を持っています。来月より
シリーズの2に入りますが、その2章に遊ぶことの大切さが記されています。遊びの
一つの性質は予期できないことに心をゆだねることです。スポーツでもゲームでも予
期しないことが起こるから面白いのです。ボールを蹴る時も、いつも自分の思い通り
にいかないから楽しいのです。何が起こるか分からない不安定な世の中にあって、遊
ぶことは神が信頼できるお方で素晴らしいお方であることを知り、人生の豊かさを味
わう素敵な方法だというのです。私たちは大人になっていくと仕事や家庭、競争社会
で人生が深刻になっていき、多くの大人たちは遊ぶ能力を失っています。
私たちは皆、神の子どもです。天の神様のことを「お父さん」「パパ」と呼ぶことが
できます。私たちは子どものように父なる神を信頼し、互いに信頼し、互いから学
び、楽しむことができるのです。