説教題:「病を負った癒しの人」
聖書:マタイによる福音書 第8章 14~17節
説教:齋藤善樹 師
賛美:新聖歌208番「イエスは愛で満たす」 新聖歌324番「神の子なるイエス」1,3,5
今日のテキストには、ペテロのお姑さんが癒されたこと、そして多くの人々が癒されことが記されています。それぞれの出来事から「癒し」についてのメッセージを神様から受け取りたいと思います。ペテロの家で、彼のお姑さんが熱で臥せっておりました。おそらくマラリアのような慢性的な熱病で苦しんでいたようです。イエスは彼女の手に触れて、癒されました。これはペテロにとって大きな出来事でした。彼は、少し前にイエスの弟子になっていました。いつでもどこでもイエスについていき、イエスに学び、イエスに仕えたいと思っていました。お姑さんの病ゆえに外にばかり出ているわけにはいきません。お母さんを看護する奥さんのことも気になります。どんな時でも家庭を大事にしなければなりません。イエスによる癒しは家庭の重荷を軽くし、ペテロ夫婦にとって大きな慰めとなり、励ましとなったことでしょう。これはイエスに仕えようとするすべての者にとって、重要な出来事でした。イエスのわざは単なる奇跡的な病気の癒しで終わるのではありません。癒されたことの意味を与えます。姑さんはイエス一行をもてなしました。大事なご奉仕でした。イエスへの奉仕です。癒しそのものは素晴らしいですが、さらに大切なことは、癒された後の人生が祝福されることです。
その日の夕暮れになると、続々と悪霊につかれた人や病人が家に連れてこられました。イエスはそこにやってきたすべての人を癒されました。ここに、旧約のイザヤの預言の言葉が引用されています。「彼はわたしたちの弱さを負い、病を担った」(イザヤ53:4)。イザヤは未来において現れる救い主(メシア)のことを予言しています。これは、イエス・キリストこそ昔から予言されていたメシア、救い主であるという宣言です。癒しが起こる!それがメシアのしるしです。
けれども、このイザヤが言っているのは、ただイエスがスーパードクターのように次から次へと病気を治したという単純なものではありません。イザヤの言葉はイエスがなさった本当の癒しとは何なのか、どのように癒しを起こるのかを語っています。⑶「彼は、痛みの人で、病を知っていた。…⑷彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであった。⑸彼の受けた懲らしめによって私たちに平和が与えられ、彼が受けた打ち傷によって、私たちは癒された。」彼自身が病を負い、傷を負った。それによって私たちは癒されたというのです。現代の医者はある程度健康であることが条件です。けれどもメシアは自ら病を負って、人を癒すというのです。彼は病の苦しさ、痛みや悲しみを理解しつつ、私たちを癒されるのです。
病気の時は、病気が治ることが何よりも優先されますが、実はその後も大事です。癒された後、10年寿命があるのか20年あるのかわかりませんが、どのように生きていくのかが大事です。病を知っている医者は、患者に心の癒しを与え、新しく生きる力をお与えになるのです。
皆さんの今の苦しみや痛みは何でしょうか?特定の病気ではなくても、生きづらさというものあるかもしれません。自分の心の偏り、不安定さ、心の弱さ、そして孤独というものがあるかもしれません。イエスへの信仰がこれらすべてを解消するわけではないかもしれません。しかし、イエスは私たちの病や傷を、あたかも自分の事として理解し、責任をもって引き受けて下さいます。そして私たちは私達の病や弱さの只中でイエス・キリストにお出会いし、イエスのご愛に触れることができるのです。これがイエスの癒しです。
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