説教題:「人生最大の誘惑②」
聖書:マタイによる福音書 第4章 5~11節
説教:斎藤善樹 師
賛美:新聖歌7番「主のみいつと」1,2,4 新聖歌355番「主と共に歩む」1,2,3,4
サタンの2,3番目の誘惑は人間の心の在り方に関することでした。サタンはイエスを神殿の屋上に連れて行き言います、「ここから飛び降りたらどうだ?あなたが神の子ならば天使があなたを助けるだろう。」サタンは暗にこんな事を意味しています。「そしたら、それを見ていた群衆は拍手喝采。直ぐににあなたは有名人になり、あなたが伝えようとしている福音とやらに耳を傾けるだろう」人から注目を浴びたい、認められたい、というのは人間の基本的欲求の一つです。これが満たされないと孤独を感じ、自信を無くします。その欲求の根底には孤独の恐れ、愛されたいという欲求があるのだと思います。
▼サタンの誘惑は高い神殿に昇るだけではなく、そこから飛び降りたらどうだというものでした。確かにこれ以上、人の注目を浴びる行動はないでしょう。イエスはこれを拒否なさいましたが、その理由は「神を試してはならない」という事でした。神という方は、試す方ではありません。イエスが神殿から飛び降りても天使が助けに来たら、人は皆あなたの事を神の子と認めるだろう。それが神を試すことになるというのです。
▼神を試す?これは実は私達が良くする事なのです。今、ここで神が姿を現したら信じましょう。これは神を試しているのです。自分に良い事が起こったら信じます。神を試すことです。神は人間が様々な方角から試されて、居たり居なくなったりする存在ではありません。人間がどのように神を試しても、神は神なのです。その神は御心のままに私達の人生に介入される方で、その御心は愛そのものです。神の私達への愛は変わりません。ですから私達は神を試す必要ないのです。
▼もう一つの誘惑のためにサタンはイエスを高い山に連れて行きます。その山からは世界中の栄華、素晴らしい生活が見えました。サタンは言います。「私に跪いたら、これらのモノが、全てあなたのモノになるというのはどうだ?」この誘惑は一言で言えば支配欲だと思います。すべての快楽を手に入れる。他人も自分の支配下に置く、自分の好きなように人間を動かす、欲求のままに世界を動かす。これらを、悪魔にひれ伏して満たそうとするのが誘惑です。世界には自分の思いのままにならないものがある、いいえ世界にはそうしてはならないものがある。それは手に入れようとする、その時点で既にその心は悪魔にひれ伏しているのです。
イエスはサタンに答えます、「あなたの神である主を拝み、ただ主にのみ仕えよ」と。愛の神の支配下に身を置くのです。そうするならば、他のものを支配しようという誘惑から逃れられるのです。私達は常に何者かの支配下に置かれ仕えているのです。それが誰なのかを選ばねばなりません。自分の欲望に仕えるのか、サタンに仕えるのか、人に仕えるのか、または愛なる神に仕えるのか。サタンに仕えるならば、他の人を支配におこうとします。神はいつも私達を招いておられ、様々な誘惑から守って下さいます。たとえ誘惑に負ける事はあったとしても、主イエスは私達を立ち直らせてくださるのです。