未熟と成熟が重なった特別な日

説教題:「未熟と成熟が重なった特別な日」
聖書:ヤコブの手紙 第1章 2~8節
説教:角田利光 師
賛美:新聖歌330番「幸い薄く見ゆる日に」1,2 新聖歌349番「移りゆく時の間も」1,2,3

 父なる神さまは、神の子どもとされた私たちが、「何一つ欠けたところのない、完全で申し分のない人になる」(4節)ことを誰よりも深く願っておられます。私たちの信仰のゴールは、「キリストの似姿に変えられる」(Ⅰヨハネ3:1)ことです。クリスチャンは、キリストを信じることで「すでに」救われていますが、「いまだ」完成に向けて信仰の歩みを続けています。


人が生まれてから人生の中でもっとも経験を重ねた日、もっとも知識が豊かに蓄えられたのが、今日という日になります。今日の私は、これまでの人生の中で最長老であり、私という人生を振り返ったとき、今日の私ほど、経験を積んだ人はいません。そして、もっとも経験を積み、もっとも成熟した自分が下した判断は、今日の段階で出来る限りの精一杯の選択をしたことになります。私の判断は、他の誰を持って替えられない、すべての環境や条件や状況が分かっていて、自分の人生の過去も現在もすべて知り尽くしているこの私でなければ、その判断はできなかったはずです。しかし、過去の選択に対して、「もっとああしておけばよかった」「こちらを選べば良かった」と悔やむことがあります。しかし、そう思えること自体、今の私が成長している証しになるのではないでしょうか。

 反対に、今日を含めた明日や未来を考えた時、今日という日は、私にとって知識や経験においてもっとも未熟な日であり、最年少の自分であることに気がつきます。今日という日は、過去の人生の中でもっとも優れた最高位の自分と、未来に向けてもっとも未熟な最年少の2つが重なった特別な日といえます。


 この特別な日に、神さまは敢えて試練という方法を用いて私たちを成長させるために訓練なされます。しかし、嵐の中を一人でじっと耐え忍ぶことはしません。決して喜ぶことのできない試練を土台として、試練の中から喜びを見いだす知恵を、神さまはお与えくださいます。人生に起こる試練を糧として、私たちの救いを完成させてくださるのは神ご自身です。このお方がいつも一緒にいてくださる。だから今日という日は特別な日なのです。「何一つ欠けたところのない、完全で申し分のない人」に変えていただくために、上よりの知恵をいていただけるよう、自分を信じたり神さまを信じたりする二心を捨てて、ただ一心に神さまを信じて祈り求め続けるのです。神さまは、そのような人に惜しみなく、恵みを与えてくださるお方なのです。

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