説教題:「幼子の知恵」
聖書:マタイによる福音書 第11章25-27節
説教:齋藤 喜樹 師
賛美:新聖308番「高き岩よ」1,2,3 新聖歌 325番「歌いつつあつまん」1,2,3,4
主イエスは、神の真理が賢い者たちには隠されて幼子に示された事神に感謝しておられます。これは神のみこころでした。 私たちは、神の真理などという深遠なものは、賢人が見出すものだと思います。イエス様が知っている「賢い人」だとは、自分は知っていると考えている人の事、自分の無知を存在しない人の事です。人間の傲慢さを語っているのです。
幼い子の大切なのでお願いしますか?謙虚さのほかに、素直さですか?反対意見を言えば、今後生きていくためには賢くある必要もあります。
然し神さまの真理の本質は、理屈や論理にあるのではなさそうだ。神様が私達に示すようなつまらないところは、私たちの賢さではなく、幼子だそうです。私達の心の中には幼い子の部分があり、その心は幸福感を味わい、美しいものに感動する瞬間、傷つきやすく、恐れ、悲しみ、孤独を感じます。そして神を求めている部分です。
イエス様はコラジン、ベッサイダ、カペナウムの人たちを見て、がっかしりし、怒りもしました、また思いました。イエスは熱心に語り、奇跡の故意もしましたが、多くの大人たちは小賢しい論理を振りかざし、正義を選択しませんでした。賢さは誰も持っているわけではありませんが、誰でも幼子の心を持っています。神はその心に語りかけられます。