説教題:「イエスに学ぶ恵のリズム」
聖書:マタイによる福音書 第11章28-30節
説教:齋藤 喜樹 師
賛美:新聖7番「主のみいつと」1,2,3,4 新聖歌 341番「恐れなく近寄れ」1,2,3,4
「重荷を失って大変な人は私のもとに来なさい。あなた方を休ませよう。」 このような文で始まるイエスの言葉は世界中で愛されている聖句です。 徳川家康は「人の一生は、重荷を失って遠き道を行くが如し、急ぐべからず。」という言葉を残しました。
ご自身が見えるという重荷を失ったイエスは人生の重荷というものをよく決めた。せん。また私のもとに来なさい、という言葉も早く天国に来なさいと言われているわけでもありません。 あなたはまだ地上に残って荷物を覚悟していきます。
「私のもとに来なさい」 この休息はイエスのもとに来ることに得られるものです。 この言葉に惹かれて教会に来ている方にもおられるかもしれません。 この言葉はすでに教会に来ている人々にも向けられます。 ただ、場所の事ではないかもしれません。
イエスは私のくびきを負けて私に学びと言われました。 くびきとは、牛や馬の首や肩のあたりに付ける器具で、荷車や耕作道具を優先するために用いられます。 これで家畜の力を最大限に引き出すことが出来るのです。 くびきは家畜を苦しめたり、束縛させるものではなく、その力を発揮させるものでした。人生様々でいろいろな頸木があり、時にはその頸木は負いにくいものであるかもしれません。 あなたを不自由にさせ、十分にあなたの力を発揮できないものかもしれません。 あなたが疲れ、苦労しているのは荷が重いというだけではなく、負けている頸木に問題があるのかもしれません。
「私の頸木を失って私に学びなさい。」。 それは、イエスに思い浮かぶという事です。イエスとともに歩き、イエスとともに働き、イエスとともに生きるのです。イエスの生きたリズムに生きうのです。ここで強調したいのは「祈り」です。イエスは常に祈られました。息の時であり、至福の時でありでしょう。 動と静がイエスの生活のリズムでした。 私はコロナ禍で思い込んでいた「小さなグループの学び」を再開したいと思います。 そのグループの学びは信仰を頭の理解だけではなく、生き方そのものを学ぶものです。 その中で特に大切なことは、神の前に座る時間を持つこと、それを習慣とすること、生活のリズムにすることです。 その時間があなたの力を引き出すイエスのくびきとなるのです。
人生は生きるだけでも大変です。人生で花を咲かすような経験は素晴らしいものですが、自分の人生は大失敗と感じるようなことも起きないかもしれません。 もっとも人生で最も大切なことはあなたがどれだけ神に近い生きるのか、愛の神のことを知ってください。そのような神との接点があるたびに、恵みによってあなたの現実の人生は変わり続けていくのです。