説教題:「人生最大の誘惑」
聖書:マタイによる福音書 第4章 1~11節
説教:斎藤善樹 師
賛美:新聖歌165番「栄光イエスにあれ」 新聖歌321番「浮世の風と」1,2,3,4
誘惑に遇った事がないという人はいらっしゃらないでしょう。私達はいくつかの誘惑には勝ち、いくつかは負けてしまうものです。誘惑に負けてしまったがゆえに人生とんでもない事になったという事もあるでしょう。誘惑とは自分の人生にとって良くないもの、他の人にも害になるものです。
▼サタンは私達が弱さを覚える時にやって来るようです。イエスが40日間の断食後、身体が極限に弱まった時に、やって来ました。「神の子なら、石をパンに変えてみたらどうだ?」イエスはこの誘惑を拒否されました。どうしてか?イエスは答えられます、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きるのである」と。
▼イエスは決してパンを食べるなどとおっしゃいませんでした。イエスは生きるのにパンが必要なことは分かっていらっしゃいました。しかし、人間はいつでも神の言葉によって生かされている事を知って生きねばなりません。今、もしここでご自分の奇跡的な力で石をパンに変えることをしてしまったら、人が神の言葉によって生きるという事を学ばずに過ぎてしまうでしょう。
▼この言葉は申命記8:3に出てまいります。神はイスラエルの民を荒野で40年間も旅をさせました。その間、彼らにとって最も切実な問題は食べ物の事でした。毎日毎日彼らは食べ物の事を心配しました。けれども神はマナという食物をもって彼らを養われたのです。それは朝、露がおりて乾くと草原に白いパン粉のようなものが一面を覆ったのです。人々は毎朝それを集めて飢えをしのぎました。それがマナです。マナを通して、人は神の口から出る一つ一つの言葉によって生かされる事を学びました。石をパンに変えるという異常な力を使ったならば、人が神の言葉によって生きるという事を学ぶことは出来なかったのです。
▼聖書は単に「神の言葉」と言わずに丁寧に「神の口から出る一つ一つの言葉」と言いました。私達の生活は一つ一ついろいろな要素の集大成です。私達は一日一日、一秒、一分を生きています。食べ物も一口一口食べ、人との対話も一語一語するのです。それらの生活の一つ一つを私達は神の言葉一つ一つによって生きるのです。イエスは人の負っている苦労を安易にショートカットしてしまうことをお選びになりませんでした。私達は日ごとに一つ一つの神の恵みによって生かされるのです。そして、私達の苦しみや誘惑や試練と同じものを経験されたイエスは、私達のことを理解し、思いやり、誘惑に失敗する私でも立ち直らせて下さるのです。