聖霊が木を育て、実を結ばせる

説教題:「聖霊が木を育て、実を結ばせる」
聖書:マタイによる福音書 第12章33~37節
説教:齋藤 善樹 師
賛美:新聖歌 第138番「よろずのもの」1,2,3,4 第420番「雨を降り注ぎ」1,2,3,4

 今日は、ペンテコステの日曜日です。聖霊降臨記念日とも呼ばれ、2000年前のこの日、イエスの弟子たちに聖霊が降り、教会が誕生したとされる日です。今日はこの聖霊の働きについて学びたいと思います。前回のメッセージは「聖霊への反逆」と題しました。パリサイ派の人たちは聖霊を汚す言葉を発し、イエスはそれを厳しく非難されたのです。しかし、聖霊は私たちに働いて良い実である言葉を私の唇から生み出させるお方です。

 先日亡くなられた長嶋茂雄さんは独特で名言とも迷言とも言われた言葉をいくつも残しました。一方、失言という言葉も人の口から出ます。政治家の失言などは笑えません。先日も「コメは買ったことがありません。」と言った大臣がいました。彼は謝罪し、その言葉を撤回しましたが、間もなく更迭されました。うっかりの一言というのはその人の本心を現すものです。その言葉から国民との深刻な感覚のずれが明らかにされ、国民に共感できない人に大臣職は任せられないとなったということでしょう。私たちもうっかり口を滑らせたとか、心にないことを言ってしまったと言い訳を言いますが、言葉は私の本心から出るものです。イエスはそのことを言われたのです。言葉は木の実のようなもので、その実を見るならば自ずと木の良し悪しが分かるということです。言葉というものは良い意味にも悪い意味にも非常に重みがあるものです。言葉は人を喜ばせることも傷つけることもあります。人は自分が発した言葉を覚えていないことが多いですが、受けた人は覚えています。言った本人はその言葉の影響に気づいていません。

 言葉は唇の先だけから生み出されるのではなく、心の内から発せられるものです。イエスは厳しくパリサイ派の人々に、木そのものに問題があるのだと言われました。けれども、イエスは決してお前の心は腐っていると切り捨てるのではなく、悔い改めを迫り良い木に変えられることを願われたのです。しかし、ただ良い木になるために努力しろという事ではありません。私たちが良い木になるように育て、促してくれる方は聖霊です。木は、毎日水や日光の恩恵を受けて少しずつ成長し実を結びます。何年か前にある教会の方から柑橘類の果物をいただきました。全部食べましたが、まるい種がいくつもあったので元気そうな種を幾つか植木鉢に植えて、水をやりました。芽が出たので、外に出して日光に当たるようにしました。少し大きくなったので庭に植え替えました。今では人の高さほどになっています。まだ実はなっていないのですが、木は自然の恩恵を受けて少しずつ少しずつ成長し、時がくれば実を結ぶのです。それはちょうど神が私たちを育てられるのと似ています。聖霊は私という木を成長させます。成長させるだけではなく、良い実を結ぶと木と変えてくださいます。聖霊は私を助けて私の唇から出る言葉も変えてくださるのです。「聖霊によらなければ、誰もイエスは主であると言う事は出来ません」(Ⅰコリント12:3)。聖霊によって信仰の言葉が生み出されます。聖霊はあなたの内にすでに働いておいでです。そして聖霊は言葉という実を実らせてくださいます。聖霊があなたを根本から変えて、人を傷つける言葉ではなく、人を生かす言葉を生み出すように導いて下さるのです。日ごとにみ言葉に親しみ、神との交わりを持たせていただくことが、聖霊の日の光を受け、命の水をいただくことです。あなたの神との時間が、あなたの人生の試練、苦しみ、悲しみを、人を呪う言葉ではなく、人を生かす言葉として下さるのです。

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