礼拝日時:2025年12月28日(日)10:30~
説教題:「死の力に打ち勝つ教会」
聖書:マタイによる福音書16章13~20節
説教:齋藤 善樹 師
賛美:「御神の愛をば」「望みも消え行くまでに」
2025年も閉じようとしています。年末というのは時間の節目として自分のこれまでの
ことを振りかえり、これからどこに向かっていくのかを見直すよい機会であるかもし
れません。あなたにとって、キリストへの信仰とはこの1年で何か意味深いものは
あったでしょうか?教会はあなたにとってどんなものだったでしょうか?
聖句の冒頭にフィリポカイザリヤという地名が出てまいります。ここは北へしばし離
れたところでありました。イエス一行はいつもの活動はお休みして、静まり、自分た
ちの事を振り返る時間であったろうと思います。そこでイエスは、弟子たちに「私の
ことを人々は何と言っているか?」と問いました。弟子たちは「ある人はバプテスマ
のヨハネだ、別の人は預言者エリヤ、またエレミヤだと言っています」と答えます。
そこでイエスは「では、あなた方は私を誰だと言うか?」と問いました。ペテロは弟
子を代表するように答えました。「あなたは生ける神の子メシアです。」 ペテロら
弟子たちは3年近くイエスと生活を共にして、イエスの語ること、行うことを間近に
見て、この方こそ、聖書が予言している救い主だと確信したのです。
イエスはそれを聞いて、ペテロの信仰は人間によるものではなく、父なる神がペテ
ロの心のうちにお与えになったものだと言われました。人からただ聞いてそれを鵜呑
みにするものではありません。神が与えられる自分の内なる声です。ペテロは、最初
は、自分の兄弟アンデレの紹介でイエスを知りました。しかし、イエスはもはや人か
ら聞いた誰かではなく、自分が心から信じることのできる救い主だと悟りました。そ
のようなペテロをイエスは「あなたはペテロだ」と言われました。ペテロはニック
ネームです。ギリシャ語で「岩」を意味します。イエスへの信仰は揺るぎない岩のよ
うなものです。自分で見出したもの、内なる声を聞いたものは揺るがないのです。実
際は、ペテロはこの後も失敗したり、よく分かっていなかったりの経験をするのです
が、いつも戻ることを知っていました。
さらに、イエスはこの岩の上に私の教会を建てようと言いました。ここでイエスが
言われた「教会」と訳されている言葉は、原語でエクレシア、人の集まりという意味
です。二重の意味がありました。一つはギリシャ風の市民の集まり、市議会のような
エクレシア、もう一つはヘブライ的な意味で神の民の集まり。神によって集められた
集団という意味です。教会は神による一つの共同体です。祈りあい、支え合う信仰の
交わりです。この岩の上にその共同体をイエスは建てるのです。イエスを信じた人々
が、別々の方向に行くのではなく、み言葉を聞き、共に礼拝するために帰るところで
す。
いろいろな教会の姿があります。大事なことは、教会の土台はイエス・キリスト自
身であり、私たちは互いにキリストを通じてつながっているということです。イエス
は、教会をブドウの木と枝の関係に譬えました。木の枝はブドウの木によって互いに
つなげられています。また、後にパウロは、教会はキリストの体であると言いまし
た。頭であるキリストを通じて互いにつながり、キリストの御心を行なっていくので
す。
今年の教会の標語聖句は「生きているのはもはや私ではありません。キリストが私
の内に生きおられるのです」でした。キリストが私の内に生きてくださるのは、人と
のかかわりの中です。魂と魂が触れ合う時です。キリストがいつも私と共にいてくだ
さいます。しかし、キリストが生きておられることを経験するのは私達の命のぎりぎ
りのところで他者の魂を経験する時です。そしてキリストにある教会を滅ぼす力はこ
の世にはありません。私たちの最大の敵である死さえもそれに打ち勝つことはできな
いのです。
東京聖書学院教会
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◆送迎バスの東村山駅の出発時間は10時10分です。