喜びと悲しみのクリスマス①

説教題:「喜びと悲しみのクリスマス①」
聖書:マタイ福音書 第2章1-18節
説教:齋藤善樹 師
賛美:新聖歌84「ああベツレヘムよ」1,2,4 新聖歌75「神の御子は」1,2,3,4

 最初のクリスマスには喜びと悲しみの両方がありました。救い主を見出した博士たちは「喜びにあふれ」ましたが、子どもを亡くした母親たちは嘆き悲しんだのです。

 クリスマスは間違いなく喜びの時です。世界中の人々は地上に平和をもたらす王の出現を期待していました。戦争を止めさせ、皆が幸福に暮らせるように導いてくれる王です。博士たちは輝く大きな星を見て、それは新しい王の出現であると直感し、その方を礼拝しに行こうと決めました。彼らは長い時間をかけてユダヤにやって来ました。しかしユダヤの国のどこであるかは分かりません。とりあえず、お城のあるエルサレムに行きました。その事を聞いた、時の支配者であったヘロデ大王は自分の地位が脅かされると思い、博士たちが帰った後、軍隊を遣わして、ベツレヘム周辺の地域の2歳以下の男の子をすべて殺させました。この事は比類ない悲しみと苦しみを生み出しました。これがクリスマスの悲しみです。

間もなく老衰でヘロデは死にましたが、彼は安心して死んだのでしょうか?それとも不安の中に死んだのでしょうか?自分を守るために大勢の人間を殺したヘロデは結局、他の人間と同じように死んだのです。ところがイエスは死んでいませんでした。親子3人はベツレヘムを脱出し、エジプトに避難したのです。

 このようにクリスマスとは単に平和的でロマンチックな出来事だけではありませんでした。残酷な世界の人間の欲望渦巻く中で起こった出来事だったのです。クリスマスゆえに多くの人が死にました。いつもここを読むと思うのです。神はなぜこのような事が起こるのを許しなさるのか?全能の力をもってすれば、多くの人が悲しまないようにできたのではないか?今の世界の現状を見てもそうです。ベツレヘムからいくばくも離れていないガザで起こっていることもそうです。そこでは毎日のように死者が出ています。多くの幼子も死んでいます。ウクライナもそうです。

 神はなぜこんなことをお許しになっているのか?それは私にも答えはありません。しかし、分かっていることは、そのような世界の只中に神は独り子を送られたという事です。この世界を見捨てないで、簡単に殺されてしまうような過酷な世界に、か弱いベビーとして御子を送られ、私たちと共におられようとしたのです。それが私達の希望であり、喜びなのです。クリスマスは私達人類の神からの希望です。

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