説教題:「あなたの友として」
聖書:ヨハネによる福音書 第15章12-17節
説教:斎藤善樹 師
賛美:新聖歌18「おお御神をほめまつれ」1,2,3 新聖歌426「世には良き友も」1,2,3
今年の教会のみ言葉として「私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛しあいなさい」という聖句を選ばさせて頂きました。今月は2回の日曜日に渡ってこの言葉から学びたいと思います。そこで今日は13節の「友のために命をすてること、これより大きな愛はない」という言葉から特に友としての愛に焦点を当てたいと思います。上の聖句は、「私が友としてあなた方を愛したように、あなた方も互いに友として愛し合いなさい」と言い換えても良いでしょう。
さて「友」という言葉からあなたはどのような思いを持たれるでしょうか?この言葉で何となく寂しさを覚える方、複雑な思いを持たれる方もいるかもしれません。私は子どものころ友達を作るのが苦手でした(今もそうだと思います)。学校の休み時間や放課後など一緒に遊ぶ友ができませんでした。ところが小学校の5年の時にそれは変わりました。一人の同級生がある日突然家に遊びに来てくれたのです。その日以来、ほぼ毎日彼と遊ぶようになり、その友達関係は小学校を卒業するまで続きました。友がいるという事は世界が変わるような経験でした。
さてイエスの言葉「あなたをもはや僕(使用人)とは言わない、友と呼ぶ」から友との関係は主従関係のようではないという事が分かります。相手を利用したり、自分の思い通りにさせる事が本当の友の関係ではありません。イエスはむしろ「友のために自分の命を捨てること、これより大きな愛はない」とおっしゃいました。相手に献げさせるのではなくて自分が自分自身を献げるという事です。献げるとはいざという時、相手を自分よりも優先する事です。
また友の特徴は自分の心の内を打ち明けるという事にあります。イエスは、「僕は主人の考えていることを知らない」と言われました。けれどもイエスは弟子たちにご自分の心の内をすべて話した」とおっしゃいました。友は自分の秘密を打ち明けます。多くの場合、それは自分の弱さです。イエスはこの対話から間もなくゲツセマネの園で祈る時間を持ちますが、その時に、「私は悲しみのあまり死ぬほどです。私のために祈って欲しい」と言われました。実際に十字架の重荷はイエスにとって耐えがたいものだったのです。人としての神の子イエスは私達の友となるために弱さを持たれたのです。
また、これは直接にはここで触れられてはいませんが、友というものは一方的に自分の事を話すのではなく、聴くことにあります。相手のいう事をろくに聞きもしないで、友でいることは出来ません。聴くことはすなわち共にいること、寄り添うことなのです。
イエスは、もう一つイエスの友としての特徴を話されました。イエスは、「あなたが私を選んだのではない、私があなたを選び、あなたを任命した」と言われました。一体、友とは選ぶ要素があります。しかし、私は友達を作るのが苦手でした。子どもの頃、自分で選んで友達を作るなど無理でした。けれども幸いなことに私の場合、向こうの方から選んで友となってくれたのです。イエス様も同じです。私を選んで、あなたを選んで友となって下さり、愛して下さるのです。不思議なことにイエスが友となって下さり、イエスと友の関係を持っていると、私達の人間関係も広がっていきます。そして地上での友も与えられます。神の不思議な力が働き、人生を共に歩む友を、愛しあう友を神は与えて下さるのです。私達は皆(教会も夫婦も兄弟姉妹も)、主イエスにある友です。「私があなた方を友として愛したように、あなた方も友として互いに愛し合いなさい。」友として愛し合うことを神は願っておられます。
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