天に貯える

説教題:「天に貯える」
聖書:マタイによる福音書 第6 章19-24節
説教:斎藤喜樹 師
賛美:新聖歌1 「いざ皆きたりて」1,2,3,4 新聖歌324「歌いつつ歩まん」1,2,3,4

 主イエスは、あなたの宝を地上ではなく天に積みなさい、と言われました。地上に貯えたものはいつか虫が食い、錆びてしまう、泥棒に盗られてしまう。宝を地上に持つのは危ういものだから地上ではなく、安全な天に置きなさいと言われるのです。イエスは私達に問われます。あなたは自分の宝をどこに貯えているのかと。宝は、いわゆる金銀財宝だけではありません。あなたが大切にしている何かです。 素敵なもの、安心できるものを持っていたいという願望は悪いものではありません。あなたの生活を少しでも豊かにするのならば、良きものでしょう。しかし、それがあなたの最大の宝であるならば、何と儚いものでしょう。虫が食い、錆びがつき、盗難に遭う、或いは朽ちていくのです。

 私達の宝には2種類あります。地上の宝と天の宝です。ある人は、天に宝を積むとは天国への投資だと言いました。お金や労力や時間をより良い事のために使うのです。貧しい人のために寄付するのです。献金するのです。一生懸命に奉仕をするのです。それは天国の貯金となり、天国に行ったら、それを存分に使うことが出来る、素晴らしい天国の家に住むことが出来るというのです。さて、この考えは、半分は当たっているかもしれませんが、半分は違うかも知れません。イエス様は、天国で素晴らしい生活をする為に天に宝を積むなどとは言われませんでした。天の宝とは、今、神様につながらせ、神様との関係を深めるものです。今、あなたが神の国に生きる祝福にあずからせるものです。

 さらにイエスは言われます。天に宝を積むことは、あなたの心の目を澄んだものにさせるのだと。「目は体の灯」とありますが、目は明かりを取り入れる窓です。窓が汚れておれば十分に光を入れることはできないで、部屋は暗くなってしまいます。けれども、窓が綺麗であれば十分に明かりを取り入れて部屋は明るくなります。部屋が明るくなれば、どこに何があるのか分かります。そして、何が大切なものなのかを知ることが出来ます。地上の宝に優先順位をつけることが出来ます。天に宝を積むとは地上の宝への執着から解放されるのです。

イエス様は、これに関連して、私達は富と神とに仕えることが出来ないと言われました。富を地上の宝と置き換えても良いでしょう。私達は常に何かに仕えています。神か地上の富かです。これは決して地上の富を否定するものではありません。何を優先するかです。あなたは何のしもべになっているかです。富の奴隷にならない事です。奴隷になっていなければ、それを失っても私達は寛大でいられます。それが与えられなくても私達は天に宝を積むことによって、神の国に生きることが出来るのです。地上の宝は、一時的な満足感、幸福感を与えますが、それは過ぎゆくものです。天に宝を積む私達は神の国の法則に従って生きるのです。そして必要なものは神が必ず備えて下さると信じて生きることが出来るのです。

 天に宝を積むとは、具体的には祈る事や、捧げることや、神と人のために労することが含まれるでしょう。しかし、何より愛することだと思います。あなたの隣人を愛することは天に宝を積むことです。見返りがなくてもがっかりすることはありません。あなたの愛の配慮、言葉、行為は確実に天に貯えられているのです。

◆座席の除菌作業について

礼拝時のアルコール消毒は撤廃いたしました。ご希望の方は、受付にある手指消毒用アルコール液と除菌シートをご利用ください。

◆礼拝出席時の体温計測および緊急連絡先の申告は終了しましたが、発熱時や体調不良の際は出席をお控えください。受付では従来の礼拝出席者一覧表に〇印をご記入ください。(早朝礼拝のみ出席された方は赤ペンで「早〇」とご記入ください)

◆送迎バスの出発時間は10時10分です。

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