説教題:「だから、思い煩うな!」
聖書:マタイによる福音書 第6 章25-34節
説教:斎藤喜樹 師
賛美:新聖歌299 「山辺に向かいてわれ」1,2,3,4 新聖歌318「君はわが身の」1,2,3
「思い煩わなくて良い」 これがイエス様のメッセージです。私達の心は複雑、繊細で、神様の目から見るならば、必要のないことに思い煩うのです。生きるのに必要なものごと一切が私達の思い煩いの元になります。あなたはどんなものを今、心配されていますか?思い煩いはストレスとなり、不眠、胃痛、頭痛、時には鬱病なども引き起こすかもしれません。思い煩いは私たちの心を曇らせてしまい、体さえ縛ってしまいます。そして、私達の心を神さまから反らしてしまう事もあるでしょう。
この思い煩いと同じ言葉が他の聖書の箇所に出てきます。ベタニア村のマルタとマリアの姉妹の家でのことです。彼女らはイエス一行を迎え、もてなすためにマルタは忙しく立ち回っており、少々カリカリしておりました。妹のマリアはのんびりとイエスの足もとに座り、その語る言葉に聴きいっています。つい、マルタはイエス様に文句を言います、「イエス様、妹のマリアは一人何もしないで、あなたの話を聞いています。マリアに少しは手伝うように言ってやってください」と。イエスは、マルタに「あなたは色々な事に気を使って思い煩っている、今、マリアにとって大切なものを取り上げてはならない」と答えられました。思い煩いは大切なものを見えなくさせます。イライラして怒りやすくなったり、人を傷つけたりします。思い煩いそのものが苦しいのです。せっかく本来楽しいものがあっても、美味しい食べ物を食べていても、全く満足感がありません。思い煩いは人生の半分を損させます。
神様はあなたたが思い煩うことを望んでおられません。それでも、世の中の問題はあまりに多く、人生はあまりに不安定で、思い悩みます。思い煩いというものは、問題ばかりに目を向けさせ、心を偏らせます。そんな私達にイエス様は、別の方を見るようにおっしゃいます。「あなたの体は着るものより大切であり、あなたの命は食べ物よりも大切だ。」 あなたは今、体が与えられている、食べることが出来ている、あなたは今、確かに神によって養われ、生かされているのです。神は今のあなたの必要を与えて下さっています。そこに目を向けるのです。
イエス様は私達の目を空の鳥、野の花に向けさせます。神は今精一杯生きている小さな命を神は養っておられます。イエス様は、明日の事を思い煩らわず、今を大切に生きなさいとおっしゃるのです。もちろん将来に向けて何も計画しなくて良いという事でありません。神は私達に将来のことを考える頭脳を与えて下さっています。過去から学ぶという事も大切です。しかし、過去のことをいつまでもクヨクヨしていたり、将来の事で悩んでいたら、今与えられている恵みを駄目にしてしまいます。今、私達が足をしっかり置くのは今、この時です。今の私と神さまとの関係です。明日はまだここにはありません。そんな明日のことを思い煩ってどうなるのでしょう?この世界は確かに過酷です。しかし、確実にこの世界には命を養われる方がおられます。イエスは言われます。父なる神はこのような小さくて短い命を支え養って下さるのならば、なおさら私達の事を心にかけて下さると。
現在、病の中にある方、大きな問題の最中にある方、どうしたって楽天的にはなれないでしょう。けれども、私達と同じ肉体を持っておられたイエスは私達の痛みや苦しみを知っておられます。その上で、思い煩らわなくても良いと言われるのです。明日の事は分かりません。けれども私達の知っている事は、私の救い主である主イエスの御手の中に明日はあるという事です。ですから、私達は今日という日を、希望をもって生きることが出来るのです。この生き方を今、私達は祈りをもって、そして神の御声を聴くことによってスタートできるのです。