自分で頑張るのではなく

説教題:「自分で頑張るのではなく」
聖書:テモテへの手紙 第1 章1~7節
説教:松島基紀 修養生
賛美:新聖歌227 「キリストの愛 我に迫れり」1,2,3 新聖歌349「移りゆくときの間にも」1,2,3

 信仰とは、自分で頑張るのではなく、神の賜物を燃え立たせることにあるというのはこの聖書の箇所のメッセージです。この手紙の受け取り手であるテモテは臆病であったらしいということが伺えます。(7節)そんなテモテに対してパウロは励ましの手紙を送りました。時に、私たちもこの臆病という弱さに悩むことがあるかもしれません。

 臆病とは「失敗への恐れ」と言えると思います。マタイ25章にある有名なタラントの譬え話で、主人を恐れて預かった財産を土に埋めて隠した僕は、帰ってきた主人から「悪い臆病な僕だ」と叱責されました。まさに失敗を恐れた臆病な姿です。テモテにもそのようなところがあったのでしょう。彼は若い献身者でありましたから多くの失敗をしたかもしれません。また彼のいたエフェソ教会では偽りの教えが問題になっていましたから、自分の信じてきた教えに対する批判や、偽りの教えが広がっていく様に、自信を失いつつあったのかもしれません。失敗を経験した時、もう一度踏み出すことに恐れを感じ、躊躇してしまう経験が誰しもあるのではないでしょうか。

 そのような弱さを持つテモテに対してパウロは力強い励ましの言葉を送るのです。そこで語られるのは神の賜物についてです。まずパウロはテモテに与えられた信仰について語ります。そこには彼の祖母と母の名前が出てきます。テモテの信仰は自分の力で獲得したものではなく、祖母、母を通じて彼に宿ったものであると語るのです。

 さらにパウロはその宿った信仰ゆえにテモテに与えられている賜物を思い起こし、それを再び燃え立たせなさいと語ります。テモテが、そして私たちが臆病になってしまうのはこのすでに与えられた神の霊の炎が燻ってしまっているからなのです。神はテモテにも私たちにも既に力と愛と思慮の霊を与えていてくださいます。この霊の炎は決して消えることがありません。しかし、臆病がそれに蓋をして火種が小さくなってしまうことがあるのです。だからこそパウロは私たちに与えられている神の霊に目を向けさせ、この賜物を燃え立たせなさいと語るのです。

 私たちは失敗を自分の力で取り返そうとしますが、そうではないのです。それでは結局失敗の繰り返しによってどんどん臆病になってしまうからです。私たちは、今与えられている神の賜物によってこれを乗り越えていくのです。そしてこの賜物を燃え立たせるのは福音であり、それを私たちに教える御言葉の息吹です。この週も、神が既に私たちに与えてくださっている力と愛と思慮の霊に頼りながら歩んでいきましょう。

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