説教題:「イエスの望み」
聖書:マタイによる福音書 第8章 1~4節
説教:斎藤喜樹 師
賛美:新聖歌336番「日暮れてやみはせまり」1,2,5 新聖歌474番「主がわたしの手を」1,2,3,4
人間を苦しめるものの最大の一つが病いだと言ってよいでしょう。私たちの内の大多数は生涯で何らかの深刻な病に罹ります。現在、皆さんの中にも闘病中の方、またご家族、友人のために祈っておられる方も少なくないでしょう。イエスの時代にも様々な病気がありましたが、特に悲惨な病と恐れられていたのが、ここに記されている「既定の病」と言われるものです。この言葉は厳密な訳ではなく、説明のための意訳です。法律で指定された病気という事です。新約聖書の原語は「レプロス」というギリシャ語です。
私の祖父は、30代のころ、狼瘡という病に冒されました。結核菌が全身を冒す病気です。祖父の場合は特に顔に現れ、骨や軟骨が冒され、鼻などがもげるように壊死してしまったそうです。病気が進行すると死に至ります。今なら結核の薬で治るのだそうですが、当時は不治の病でした。ハンセン病ではありませんでしたが、おそらく昔のユダヤでしたら、これも「規定の病」と診断されて汚れたものとして隔離されていたでしょう。実際に祖父も療養という名目で家から離れ、四国の田舎に一人で何か月か生活していました。ところが驚くことに、1年ほどで奇跡的に癒され、無くなった鼻の跡にも肉が盛り上がってきて、少しずつ顔の形が回復したそうです。牧師に復帰することができましたが、しばらくは鼻のない顔で礼拝の説教をしていたという事でした。
さて、祖父は癒され、この聖書の人物も癒されましたが、世の中には癒されない病で苦しんでいる人が大勢いらっしゃいます。神に願ったからと言ってすべての病が治るわけではありません。この病の人は、そこのところが分かっていたのかもしれません。この人は言います、「もし、お望みでしたら、清めて頂けます」他の訳では「御心でしたら、きよめて頂けます」つまり、あなたには私を癒す力があります。でも、私を癒すかどうかはあなたの御心次第です。今私の病が癒されるのがあなたの御心でしたら清くしてください。イエスは応えられるのです。あなたがきよくなるのは私の心だ、望みだ、きよくなりなさい。
父なる神の御心は、私達を愛することです。それは、私たちが幸いに生きる事を神は願っておられるということです。この病人が癒されたのは、そのしるしでした。私たちへのしるしとして癒されたのです。この神の愛から漏れる人は誰一人いません。どんな病でも神は癒す力を持っておいでですから、熱心に癒しのために祈るべきでしょう。たとい、今のあなたの体が癒されないとしても、あなたは生きるのです。肉体を離れても永遠の命に生きるのです。なぜならあなたの魂がイエスによって癒され清くされるからです。イエスは私たちの病をいやし、清め、私たちの本来おるべきところに戻してくださいます。それがイエスの望みなのです。