ふたりの孤独

説教題:「ふたりの孤独」
聖書:マタイによる福音書 第8章 28~34節
説教:齋藤善樹 師
賛美:新聖歌20番「主の真実はくしきかな」1,2,3 新聖歌325番「歌いつつ歩まん」1,2,3,4

 聖書は痛みの人生を描く物語で満載です。小林和夫先生のことは既にお知らせした通り、91歳まで精いっぱい生きられました。最期は、腎不全で、週3回の透析、前立腺の癌、肺にも癌、さらに心筋梗塞で心臓が弱っていました。他にも若い頃から、多くの病気を背負っていらっしゃいました。また、本当に辛い多くの試練もくぐられてきました。それにしては、先生は人生に楽観的でいつも前向きの姿勢で、とても大きな足跡を日本のキリスト教界に残しました。

 今日の聖書の場面は湖の向こう岸です。ここで悪霊に憑かれたという二人の人物と出会います。彼らは墓場に住んでいて、道を通る人々に暴力をふるったとあります。主イエスの主な働きに病気を癒すことと悪霊を追い出すことがありました。病気を癒すというのは分かりますが、現代人の私たちには悪霊を追い出すというのが今一つ分かりません。今の私たちが見れば、おそらく何らかの精神の疾患であろうと判断するでしょう。けれどもこれは、迷信ということで片付けられないことです。憑かれるとは縛られることです。本来の自分が何かに縛られて自由がきかなくなることです。私達も、様々なものに縛られて本来自分が望むことが出来ないことを数多く経験します。また、悪霊に憑かれた二人は暴力を奮っていたとあります。暴力も人間の深刻な問題の一つです。現在の世界の情勢を見ても、暴力という悪霊に支配されています。身体への暴力だけでなく、言葉の暴力があり、態度の暴力があります。現代のSNSを通しての誹謗中傷も深刻な暴力です。時に私達は自分で自分のしていることを自覚しないで人を傷つけています。暴力が家庭を引き裂き、人間関係を傷つけます。私達は怒りや恐れに駆られて暴力的、攻撃的になるのです。暴力の悪霊に憑かれた二人は人里離れた所に住むほかなかったのです。

 悪霊は二人を孤独に陥らせました。二人の魂の奥底では孤独におびえていたのでではないかと思います。孤独というのは、一人でいることだけではありません。他の人と物理的に近くにいても、たまらなく孤独になります。孤独に陥っている私達は時に近づいてきてくれる人がいても拒否します。イエスが近づいて来られた時も二人はイエスを怒鳴りつけました。あなたは関係ありません、放っておいてくれと。これは悪霊が言わせたのでしょう。でも、二人の本心は違います。自分に触れて欲しい、こんな墓場から助け出してほしいと願ったのでしょう。ところが口から出てくる言葉や態度はイエスへの冷たい、攻撃的な態度でした。

 しかし、イエスは離れません。それで悪霊は言います。あの豚の群れの中に入れてくれと。彼らの暴力の矛先は豚へと向かいました。すべての豚は湖に雪崩打って飛び込みおぼれて死んでしまいました。これを目撃した町の人たちは、非常に恐れて町を出て行ってもらうように願うのです。「それなら」とイエスは弟子たちとまた舟に乗って帰ろうとします。この後、悪霊から救われた人物がどうなったかを他の二つの福音書が記しています。彼らはイエスに「あなたについて行き、お供をしたい」と懸命に願ったのです。ところがイエスの返事は、「自分の家へ帰って、神があなたにどんな大きなことをして下さったか、語り聞かせなさい」でした。彼らは家に帰って町中に言い広めたとあります。神は究極的に良いお方でこの世界の悪を最終的に追い出される方です。そこに希望をおきましょう。神が良い方であることを人々に伝え、私たち自身が人々の慰めとなり、励ましとさせて頂きたいと思います。

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