説教題:「誰が隣人になったのか」
聖書:ルカによる福音書 第10章25-37節
説教:吉村 光 修養生
賛美:新聖20番「主の真実はくしきかな」1,2,3 新聖歌 191番「慕いまつる主イエスよ」1,2,3,4
今年度、私はルカによる福音書を皆さんとともに読んでいきたいと考えています。
さて、イエスさまが弟子たちに話されているときに、一人の律法専門家が立ち上がってイエスさまを挑戦するための質問をしました。律法専門家は見事に「神を愛し、相手を自分自身のように愛します」と正しい答えを言います。しかし、その後彼のイエスさまとの見解から、は自分の周囲の人に対する愛の姿勢を問われました。
イエスさまは、追い剝ぎに襲われた旅人に対して祭司とレビ人、サマリアの姿ずっと語られました。 たまたま道を通った祭司とレビ人は瀕死の人を見て、反対側を通っていきました。 自分は瀕死の人とは決めないという選択です。の特別家の親切に対する愛でした。 実際には彼なりに人を助けていたでしょう。だから、彼は自分は永遠の命を得ていると考えました。
祭司やレビ人が通り過ぎた後、一人のサマリア人が通りました。 サマリア人は、瀕死の状態の人と見て、ちょっと思いました。 大事とは、一応は「心に毒になること」「気分が害されること」を意味します。サマリア人は、その人の立場に立ち、傷ついた時の苦しさ、誰も助けてくれない孤独、自分の命が今も消えそうな時の恐怖を少し思いました。 そして、彼に近づき手当てをしました。
誰が、傷つき悲しんでいる人を1番思い込んでいるのではないか。そして、その先は主に決まっているのです。まことの癒し主である主イエスのもとに傷ついた人を連れて行っていきます。