説教題:「あなたは神の子ロバ」
聖書:マルコによる福音書 第11章 1~11節
説教:土井恵 師
賛美:新聖歌20番「主の真実はくしきかな」1,2,3 新聖歌339番「恵みの高き嶺」1,2,4
Ⅰ、平和のために子ロバを用いられた主イエス
子ロバに乗ってとは、旧約聖書のゼカリヤ書の9章9節に「王は子ロバに乗ってくる」とあり、その預言の成就でもありますが、主イエスは平和を表すために子ロバに乗られました。ユダヤの中でロバは、平和の象徴です。主イエスはユダヤ人の生活を苦しめていたローマ帝国を覆すために来たのではなく、平和をもたらす者として来たという意味を込めて子ロバに乗ってエルサレムに入場されました。
日本語が意味する平和は、戦いや争いがない平穏無事であることを意味しますが、ヘブルでの平和とは、あらゆることにおいて満ち足りる状態になることを指します。
聖書の神は、私達がありとあらゆることにおいて、心も身体も過去のことも現状も未来のことも、満ち足りることが出来るようにと願っておいでです。私達がどんな逆境と言われるような場面に遭遇したとしても、不安や恐れで満ちてしまうのではなく、あぁわたしは大丈夫だと思え、満ち足りることが出来るようにと神は願っておられるのです。そのことを表すために、主イエスは子ロバを用いられました。
Ⅱ、私たちを用いられる主イエス
子ロバに乗って、もう一つ意味は、子ロバのような存在の私達を主は用いられる、ということです。ロバという動物は、新しい事柄を嫌ったり、意固地で頑固な性格なようです。気分次第で言うことを聞かなかったりする性格だと、言われています。何だかそれは私の事?と言いたくなります。神はそんなあなたを用いたいと願っておられます。
主よ、主のために私にできることは何でしょうか。そう祈っていくならば、具体的な方法が与えられていくでしょう。また、あなたが主の愛を知って欲しいと思う誰かがいるでしょうか。
いざ勇気を出して神の愛を伝えようとしてみても、うまく伝えられなかったとか、自分の不甲斐なさに落ち込むかもしれない。でも、主はあなたを咎めたりはしません。むしろ、私のためにありがとうと仰ってくださることでしょう。主イエスと共に再び立ち上がって歩んで行けばいいのです。
自分は子ロバのような存在だと思ったとしても、主がお入り用だと言ってくださるのです。わたしたちそれぞれが遣わされている持ち場立場で、主の愛を現わし、主の愛を伝えていく者として、立っていきたいと思います。