からだまで救われる 使徒信条⑯

日付:2023年5月7日
説教題:「からだまで救われる 使徒信条⑯」
聖書:コリントの信徒へ手紙第一 第6章19-20節、第15章20~21節
説教:斉藤善樹 師
賛美:新聖歌 141「イエス君は」1,2,3、286「罪 咎を赦され」1,2,3

使徒信条の「からだのよみがえり」を信じるという文章から学びます。いつか私達のからだは無くなりますが、新しい体で甦るのだというのがキリスト教の信仰です。これが私たちの救いです。聖書は、「あなた」という存在は体と魂が分離しているとは言いません。あなた体無くしてあなたはいません。体が極端に疲れていると魂も疲れます。体を大切に扱うことは魂の養いに必要な事なのです。

▼教会が最初に誕生したころ、世間には体は悪だという思想がありました。魂は清くされるけれど、体は汚れたままだという考えです。だから魂の救いはこの体から解放される事だと教えました。しかし聖書の考えはそうではありません。神が私達の体を造られ、体をもつ私達を愛し、キリストは肉体をもって私達のところに来て下さり、体をもって復活されたのです。さらに私達の体は聖霊が宿る宮だというのです。

▼1コリント15:12に死者の復活という言葉があります。福音の中心はキリストの十字架と復活です。けれどもコリントの教会には死んだ人間は死んだままで生き返るはずがないという考えの人が多数いたようです。一つは人間というのは死んでしまえばもうお終い、無になるだけだという唯物論的な考えです。聖書はそう教えていません。私達の救いは地上で終わるものではなく、私達の神さまとの関係も地上で終わるものではないのです。体はよみがえります。しかし、元のからだのままではありません。新しい霊の体を受けるのです。永遠の御国に生きる素晴らしい体なのです。

▼けれどもコリント教会のある人たちは言いました。どんな風にしてそうなるのか?理性で納得できない事は信じ難いかもしれません。しかし、この世界にはまだまだ私達の理性では分からないことが沢山あります。しかし、全能の神はこの事をなさるのです。

▼聖書は私達に自然界の出来事を通して説明します。一粒の種が地に落ち、その姿は無くなってしまうけれども新しい形で命が再生されます。私達の体もいつか無くなります、しかしそこから新しい体をもった命が生まれるのです。私達は自然の体から霊の体へと変えられるのです。(15:42)

▼神は私達を愛して下さっています。この体をもった私を愛されるのです。神は必要なものを私達に備え、私達の体を養うのです。そしていつか新しい体をもって私達の救いを完成させて下さるのです。

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