日付:2023年4月30日
聖書:マタイによる福音書9:1-8
説教:齋藤善樹師
賛美:新聖歌 8、315
私達は「罪の赦し」を信じます。弱い私達は、人を赦すことのできない事で悩む一方、しばしば自分が人を赦す立場以上に、赦される必要がある者だという事に気がつきません。
▼「赦し」を語る時に「罪」という問題を抜きにすることは出来ません。人間に罪がなかったら、世界に赦しは必要なかったでしょう。主イエスはこの半身麻痺した男に「あなたの罪は赦された」と言われました。罪の起源は、ご存知のようにアダムとエバです。二人は神に背いて禁断の木の実を食べてしまいました。その上、罪を正直に告白せず嘘をついて隠そうとし、さらに他人のせいにしようとします。この二人を神はお赦しになったでしょうか?アダムとエバをエデンの園から追放した神は二人を赦していないように見えます。
▼そもそも赦さないとはどういう事でしょう?赦さないとは、その人との関係を切ってしまうことです。神はアダムとエバとの関係を切って捨てたでしょうか?そうではないようです。神は二人がエデンを出る際、革の服を作って二人に与えました。その体を保護するためです。そして神は事あるごとに二人を助け、その家族を支えられました。関係は切られていません。それどころか、この時から人類の救いの歴史は始まっているのです。
▼赦しとは何でしょうか?米国フラー神学校教授で聖書学院で教えた事もあるD・アウグスバーガー氏は次のように言っています、「赦すとは対話を取り戻し、関係を回復するために、危険の多い道を歩くこと」。赦しとは、無かった事にするという事に留まらず、相手との関係の回復を求めることだと言うのです。これこそ、神ご自身が私達人類を赦すと言われる時に、神がなされる事でした。
▼アダムとエバを神は赦されたのです。その救いを実現させるために遂に御子を世界にお送りなさいました。「神はその独り子を与えたほどに世を愛された」のです。床の上の男に「あなたの罪は赦された」と言われた時にイエスは「神はあなたを切り捨ててはおられない。あなたの人生の内に働いておられる」ということを意味されたのです。
▼神の赦しの恵みはそこで終わりません。彼にとっての愛による赦しの旅路が始められたのです。神によって赦されたあなたも、赦しの道を歩んでいるのです。あなたのこれからの道のりは愛の道であり、赦しの道です。この男性のからだは癒され、彼は床を担いで仲間と一緒に家路につきました。神の赦しを伝え、人を赦し、赦されるという愛の旅路を歩んで行くのです。