思い煩いを取り去る処方箋

2023年04月23日 マタイによる福音書第6章25-34節 角田利光 師

今日開かれた聖書の箇所の教えの中心は「神さまを第一として生きる」ということです。「思い煩い」を中心とした生き方ではなくて、神さまを中心とした生き方を私たちに示しています。 

 イエスさまは大自然界の中に暮らす小さな鳥たちに目を向け「空の鳥を見なさい」と言われました。鳥は人間とは違い、種蒔きも刈入れもしないのですが、自然界の恵みを通して、神さまに養われています。まして、神さまを信じて生きている私たちに日々の糧を与えてくださらないはずはありません。「野の花」は実に短命です。季節を過ぎれば簡単に散ってしまいます。働くこともありませんが、神さまから美しい装いを与えられています。その美しさは、イスラエル史上、最も栄華を極めたソロモン王でさえも、「この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」と称えられるほどです。そうであれば、野の草花よりも遥かに尊く、永遠に神さまの栄光を表すことのできる人の体に、神さまが着るものを与えてくれるとイエスさまはおっしゃいます。  今日の聖書の箇所でイエスさまは6回も繰り返し「思い煩ってはならない」と語っておられます。それは人間の一番大きな問題の一つが、まさしく「思い煩い」にあるからです。「思い煩い」はギリシャ語で、「心が分裂する」という意味があります。人は思い悩むと心が引き裂かれてしまいます。その事柄が重要であればあるほど不安が増し、多くの人の場合は悲観的になってしまいます。自分一人だけではどうすることもできないことに対して不安と恐怖を抱き、時にそれが怒りとなって爆発します。「思い煩い」という字を「重い」「患い」と書いてみたらどうでしょうか。そうすると「思い煩い」は心配症という重い病気というわけです。度を越えた心配は自分の体にも周囲の人にも悪影響を及ぼします。そこで医者であるイエス・キリストが、私たちのところに来て下さり、思い煩いに対するもっとも大切な処方箋を差し出してくださいました。しかもそれは無料でいただけるのです。この処方箋には二つの重要な事が書かれています。「神の国と神の義とを求めなさい」という命令と「そうすれば、これらのものはみな添えて与えられる」という約束です(33)。「神の国」は神さまの恵みが支配しているところです。「思い煩い」が大きすぎて神さまのご支配がどうしても見えないと思うような現実に直面しているときに、「神さま、どうぞ、あなたの支配を見せてください」と祈るのです。「神の義」は、神さまが正しく私に対して振舞ってくださることです。悪い行いを裁いてくださり、それだけでなく、悪い行いに傾く私をも悔い改めへと導いてくださる神の正しさが、毎日の生活の中で確立されることを「第一に」、「何にもまして優先して」、「熱心に祈り求め続ける」のです。そうすれば、私たちが生きていくために必要なものを神さまは必ず目の前に置いてくださるという約束です。なんとすばらしい配慮でしょうか。その大きな信仰の眼差しで「空の鳥」「野の花」を見なさいと主イエスは言われるのです。

聖書学院教会チャンネル

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