説教題:「安息日問題② 癒しの日」
聖書:マタイによる福音書 第12章9-21節
説教:齋藤 善樹 師
賛美:新聖歌 第308番「高き岩よ」1,2,3 第341番「恐れなく近寄れ」1,2,3,4
今日も前回に続いて安息日の出来事です。安息日はただの休日ではなくて、頑張って日でした。安息日にイエスが入った会堂に、ちょっとのワクワクした人がいたということです。曲がったままの障害を持った人でした。イエスを考えようとしている人々にとってはその場でした。医者もこの日は患者を治療することはできませんでした。 もし、イエスは、「安息日に人を癒すのは良いのだ」と言ってても、すぐにイエスを捕まえます。
現実的なことを言えば、ここでイエスはとりあえず安息日に人を癒さなくても幼稚園なのです。次の日まで少しの間、待ってもらったら幼稚園なのです。す。この後、パリサイ派の人たちが怒って狂って、イエス以外のを練りだしたのです。 イエスは病人を癒そうとして計画していると思いました、このパリサイ派の人たちの頑固な心を変えようとなさったのだと思います。 これは、ある意味、大変滑稽な出来事です。でも、この日は安息日という休養する日だからだめなんだ。 バカらしいことなのに、これは人間の姿を暴いている。人は自分が絶対に正しいと思い込む瞬間に考え質の悪い罪を犯しているものです。自分の間違いに考えていないから、自分を変えようとしません。悔しいことをしません。聖書はこのような人間たちのことを堅固で頑固な心と呼びます。
イエスが心に留めた病人は、言い伝えでは石工だと言われます。しかし、人々はいたかった。誰も同情の手を伸ばさない。
ここにはイザヤ書はいについての預言が引用されています。
手 が折れた男は折れかかった葦、かかっている灯心の火だと言えるだろう。 しかし、イエスは彼に新しい人生をお与えになりました。や頑固さという心が曲がった状態でした。イエスは勝手にこの男手を伸ばしたのではありません。自分の意思で伸ばしなさいと言われたのです。イエスは折れかかった葦のようなあなたを折ることなく、あなたの灯を静かに、手を伸ばして言われるのです。その時にイエスに癒しの力が働くのです。