説教題:「大工の倅ではないか」
聖書:マタイによる福音書 第13章:53-58節
説教:齋藤 喜樹 師
賛美:新聖歌 第141番 第340番
主イエスは大工の息子としてお育ちになりました。イエスは久しぶりに故郷に帰られ
ましたが、地元の人たちに受け入れられない悲しい帰郷でした。人々はイエスの教え
に驚かされましたが、「この人は大工の息子ではないか」と言って、イエスにつまず
きました。反感や敵意を持ったのです。イエスは、預言者は故郷や家族の間でな敬わ
れないのだ」とおっしゃられます。預言者は神の言葉を語り、時に人々に警告を発
し、悔い改めを迫る存在です。そのようなイエスを、イエスを幼い頃から知っている
人々は受け入れることが出来なかったのです。
私達はイエスの言葉をどのように受け止めるでしょうか?何を期待して聴こうとする
でしょうか?イエスの言葉は心地よい言葉だけではありません。時には心痛い言葉で
あったり、ショックな言葉をイエスは語られます。イエスは常に人々の内に変化を起
こさせるために語られました。私たちの行動を変えること、私たちの心に変化を起こ
すように語られます。本当の意味で神の国のことを伝え、私たちに神の国の幸いを経
験させることを望まれるのです。
神は、あなたはあなたのままで良いとも言われます。他の誰になる必要もない、あな
たはあなたで良いというメッセージです。あなたはモーセやパウロにならなくても、
あなたの尊敬する人物にならなくてもよい、あなたは本来のあなたで良いのです。あ
なたの存在そのものが神の目には高価で尊いのです。しかし、それは、あなたの行動
や心の状態がずっと同じで良いということではありません。あなたは間違いなく変わ
らなければならない部分があります。あなたが悔い改めて信仰をもつことをイエスは
望まれます。
そのような内容はイエスが幼い頃から知っている地元の人にとって、受け入れるのに
は大きな抵抗があったのです。またイエスは、預言者は家族の間でも敬われないとも
言われています。イエスの家族はイエスのことを愛していたと思います。だから、一
度心配になってイエスを家族総出で連れ戻しに来たことがあります。けれどもイエス
の「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じるのだ」という言葉をそのままには受
けることが出来ませんでした。イエスの語ることだけではなく、イエスの存在そのも
のを神の子として受け入れることも難しかったことでしょう。けれどもいろいろなプ
ロセスを経て、イエスは人の子であり、神の子であることを信じることが出来まし
た。
イエスの家族がイエスを信じた決定的な出来事はその十字架と復活だったと思いま
す。この箇所にはイエスの弟たちの名前が出てきます。ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユ
ダです。妹たちも何人かいたようですが、結婚していたと思われます。ヤコブは初代
教会で大変活躍した人で、使徒言行録にしばしば登場します。また、ヤコブとユダの
書簡は聖書に含まれています。二つともイエス・キリストへの信仰で満ちています。
イエスの肉親でさえ、後に救い主としてのイエスを信じました。
あなたは、このイエスを何者として受け取られるでしょうか?どうせ大工の倅だ、人
間の子だととたかをくくるでしょうか?それとも今も私たちの内に生きて、私たちの
人生を変革していくお方であると受け取られるでしょうか?