「私たちが目指す生き方 」

説教題:「私たちが目指す生き方 」
聖書:フィリピの信徒への手紙 第1章20~26節
説教:土井 恵 師
賛美:「久しく待ちにし」「天にはさかえ」

Ⅰ、パウロの目指した生き方

この手紙を書いた時、著者パウロはキリストを伝道している事が理由でローマにて牢屋に入れられ、生かされるのか死刑になるのかの裁判待ちをしていました。そのような中、「喜び」という言葉がこの手紙には溢れています。パウロの喜びの源泉は自分の身を通じてキリストが崇められることでした。パウロは生粋のユダヤ人であり、血筋も学歴もトップの人でした。そしてキリスト教の人々を血も涙もない方法で迫害していました。それが彼の生き方であり、生きる目標だったのです。けれどもある時、イエスのお声を聴いたのです。非道な歩みをしていたパウロが神から温かい眼差しをうけたのです。そのような体験がもとになって、パウロの目指す生き方は根底から変えられました。全く違う喜び溢れる生き方を見出していったのです。

Ⅱ、私たちの目指す生き方

 キリストが崇められる、「崇められる」とは、大きくされる、拡大する、の意味があります。パウロは私たちを励まします。あなたが、家庭の中で、会社の中で、学校の中で、誰かと接するときに、言葉や態度に神の愛を少しでも現わしていく事を。とはいえ、実際の生活に適応していくのは難しいことです。あなたの今の等身大の中で、実生活の中で、神を拡大すること、キリストが現れることを生き方の中に入れるのです。

そして、キリストが崇められる生き方には、もう一側面があります。それは、私たちの試練や痛い経験の中に、思いがけない中にさえも神は働き、キリストが崇められるように「神が」してくださるのです。また、私たちは自分は罪人だと感じるかもしれない。けれども、罪を悔い改め、イエス・キリストの十字架の愛を受けていくならば、失敗した人ではなく、神が崇められる生き方へと「神が」してくださるのです。そして、その生き方の中には喜びが与えられていくのです。

今はアドベント待降節の季節です。イエス・キリストは馬小屋の飼い葉おけの中に生まれました。これは、私たちの汚い心や罪ある存在のただ中にイエスが生まれて下さった示しです。それにお応えするように、私たちなりに神を拡大する、愛を伴った生き方を目指したい。また、思いもよらない部分にさえも神が働き、罪ある私がキリストが崇められる生き方へと「神が」してくださる。これらのことを心に覚え、今週もそれぞれの場へと遣わされていきたいと思います。

東京聖書学院教会 土井恵

◆送迎バスの東村山駅の出発時間は10時10分です。

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