みんな証人

2023年04月16日 ルカ244449 齋藤善樹師

最初のイースターの夕べ、部屋には11人とその仲間たち、そして先ほどエマオから戻ってきたばかりの二人の弟子を含めておそらく20人ほどの男女がいました。彼らは復活のイエスを前にしています。驚きと喜びの入り混じった気持ちでした。幽霊だと怖がっている人のためにイエスはたった今、焼魚を皆の前で食べてみせました。幽霊なら焼魚など食べないという理屈よりもイエスの優しさが伝わり、イエスに間違いないと思った事でした。イエスは聖書全体を通してご自分のことを語られました。聖書が救い主のことをどのように証ししているか丁寧に教えられたのです。救い主は苦しめられて最後には殺されてしまうこと、けれども三日目によみがえること、そしてその予言はイエスにおいて実現したということです。

イエスは最後に、あなた方はこの事の「証人」である、エルサレムから世界に伝えられる罪の赦しと悔い改めの証人であるという事でした。これは大切な言葉で、キリスト教の宣教についての重要な意味を含んでいます。「証人」とは裁判で使われる言葉で、自分が見聞きしたことを正直に真実に語る人のことです。あの晩、部屋に居合わせた20人ほどの人々はイエスの十字架と復活の目撃証人でした。彼らは自分の体験したことを語っていくのです。わずかの人数でしたが、彼らによってイエスの事が全世界に伝えられるようになりました。実際には直接にイエスの十字架と復活を目撃した証人はこの世代の人たちに限られています。しかし、彼らを通してイエスを知った人々は、自分の信仰によってイエスと出会いました。そして彼らもイエスを伝えたのです。すべてのクリスチャンはイエスの証人です。私を通して今まで知らなかった人々にイエスの事を知らせるのです。

証人になるという事で幾つか大切な事があります。一つは、私達はイエス・キリストご自を伝えるという事です。時に教会の事や、キリスト教の思想のことや歴史を語ることがあるかも知れません。けれども大事なことはイエス・キリストです。今まで、教会は多くの失敗や過ちを犯してきました。多くの人は教会や人間に失望したかもしれません。けれども、人々の多くは、イエス・キリストご自身については関心をもっておいでではないかと思うのです。イエスがどんな事を語り、どんな事をして、どのようにして亡くなられたのか。そのためには、私たち自身がイエスのことをよく知っておく必要がありますね。イエスは私たちが知れば知るほど、深みがある方です。いつも新しくイエスのことを知っていく必要があります。

二つ目は相手の人格に語りかけることです。ただの勧誘ではありません。機械的に自動的に話すのではありません。人格的にとは、相手のいう事に耳を傾けながら、祈りつつ語るという事です。この最適な例がイエスご自身です。イエスは大勢の群衆に語られたと同時に個人個人に愛の心をもって語られました。

三つ目、これは裁判の法廷ではあり得ないと思いますが、無言の証です。言葉ではなく、あなたの行動、態度がキリストを証しします。無理をすることはありません。正直に素直に神さまに信頼するあなたの姿がキリストを証しするのです。

あなたなりの証があります。あなたでなければ伝わらない人がこの世界にいます。日本のクリスチャン人口はわずかです。世の多くの人がクリスチャンの友人など持っていません。もしかしたら、誰かさんにとってあなたが唯一のクリスチャンの知り合いであるかもしれません。神さまはあなたの出来ない事を無理にさせることはなさいません。まず、ご自分が証人になるよう祈ることから始めましょう。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次