説教題:「神との格闘」
聖書:創世記 第32章 23~31節
説教:土井恵 師
賛美:新聖歌20番「主の真実はくしきかな」1,2,3 新聖歌339番「恵みの高き嶺」1,2,3,4
今日の個所には、ヤコブとある男が格闘した、とあります。格闘する、とはどのような意味であり、私たちに何を教えようとしているのでしょうか。
1.神がまず私たちと真剣に向き合ってくださっていることを知る
今日の登場人物は、ヤコブです。ヤコブには双子の兄エサウがいました。
ヤコブは、兄エサウを欺き、長子にのみ与えられる特権を奪い取りました。エソウがヤコブへの殺意を持ったため、ヤコブは実家を離れ逃げました。それから20年後、ヤコブは神からの示しを受け、実家へと帰っていくのですが、ヤコブの心は兄エソウへの恐怖でいっぱいです。ある晩ヤコブは家族を先に行かせ、一人残り、ある男と格闘しました(25)。ある男とは、神を指し、格闘とは、祈りをしたのだと、理解することが出来ます。
皆さん、信仰を持つことが出来、幸いと思う時もあれば、神様なんでですか、どうしてですか、と思う時があります。そのような時、神は私たちを深く取り扱い、恵みを与えようと、神は本気で真剣に私たちに向き合い、格闘してくださるのです。そして、30節に「その場で彼を祝福した」とあるように、私たちに良きことを与えてくださるのです。
2.私たちもまた真剣に神に向き合うということ
ある男、神は、ヤコブの股関節を外しました。これは、私たちが持つ自己中心性に神が関わったことを意味します。ヤコブは、神を思う心よりも自分の思いや願いが勝るという在り方だったのです。
この箇所には名前のやり取りがあります。最初はヤコブですと答える。押しのけるという意味です。自分が自分が、ということです。しかし、格闘後にはイスラエルと呼ばれ、神と戦うの意味です。神と真剣に向き合い格闘し、神からの祝福を得たということです。
神は、あなたの抱えている諸問題にも、あなたの自己中心的な部分にも触れ、豊かな恵みを与えてくださいます。人生の中で、ここぞ、という神と格闘するかのように神に向き合わせられる時に、スルーせず、神と向き合って、格闘することです。
神は私達が真剣に神に向き合うことを求めておられます。抱えている不安、悩み、痛み、どうしてですかということ、自己中心なわたしを、神に祈り、取り扱っていただくのです。神と向き合い格闘する中で、神が与えてくださる恵みを見出していくのです。
神と向き合うことを大切にする信仰者としての在り方を大事にしようではありませんか。