説教題:「ありがとうって言ってる?」
聖書:ルカによる福音書 第17 章11~19節
説教:松島基記 修養生
賛美:「みんな賛美」「愛のしるし」「あなたのみことば」
今日は母の日です。母の日は特別に母に感謝を伝える日ですが、私たちは常日頃から周囲の人に、そして神に感謝できているでしょうか。
今日の箇所では規定の病(ツァラアト)を患う10人の人が登場します。この病にかかった人は社会から隔離されなければいけませんでした。だから彼らは大きな声でイエスに対して「私たちを憐れんでください」(13節)と叫んだのです。それを聞いたイエスは彼らに対して祭司のもとに行くよう命じます。
すると祭司の向かう道中で彼らは清くされ、病は癒されます。それに気づいた10人のうちの1人は、神を崇めながらイエスの元に戻っていきます。しかし残りの9人はイエスの元に戻ることはありませんでした。10人全員癒やされていることから、キリストの憐れみは等しく注がれていることがわかります。では彼らの違いはどこにあるのでしょうか。
イエスの元に向かった1人にも、残りの9人にも同じく病が癒やされた喜びがあったでしょう。しかしイエスの元に戻らなかった9人はそれが喜びという「体験」で終わってしまったのです。ある種の現世利益を得たことに満足したと言えるかもしれません。しかし戻ったサマリヤ人は、癒してくださったイエスとの「交わり」を求めて礼拝するためにイエスの元に戻ったのではないでしょうか。
このサマリヤ人の姿に私たちも倣いたいと思います。私たちが毎週の礼拝を守るのは、私たちが罪許され救われていること、そして1週間の歩みが守られたことの感謝を表すためです。もちろん御言葉の恵みを受けて遣わされていく、交わりによって励ましや癒しを受け取ることも大切です。ですが今日私たちは感謝を持ってこの礼拝に出ることを改めて覚えたいのです。礼拝を通して私たちは神との交わりを持ち、そこに招かれていることに感謝したいのです。
キリスト者にとっての感謝は単なる道徳的な行いにとどまりません。それは礼拝へとつながるからです。そして礼拝を通して神の感謝をあらわすことは、人への感謝へと繋がっていきます。神の愛の交わりの中で、人を通して表される神の愛に気づきやすくなるからです。母の日という特別な時だからこそ伝えられる思いもあるでしょう。しかしそうでない何気ない日常の中でも、日々礼拝を捧げるように、神と人とに感謝を伝える者に変えられてきたいと思います。