説教題:「あなたで良かった」
聖書:マタイによる福音書 第11章1-6節
説教:齋藤 善樹 師
賛美:新聖138番「よろずのもの」1,2,3,4 新聖歌 428番「キリストには代えられません」1,2,3
「あなたで良かったのですね」とは洗礼者ヨハネがイエスに聞いた問いかけです。ヨハネは先駆者とも呼ばれ、イエスに洗礼を授けた人でした。彼はイエスが何者であるかを知っているはずでした。ところが、今彼は牢獄の中でもう一度それを確認したかったのです。何故でしょうか?彼のイエスに対する信仰が揺らいだのでしょうか?私たちも一度もった信仰が揺らぐということがあるかもしれません。イエスこそ私の救い主だと信仰を持ったのに、数々の辛い試練を経験すると本当に神さまっているの?と思うこともあるかもしれません。ヨハネも辛い経験をしていました。当時の王様はヘロデという人でしたが、その王は大変不道徳なことをしました。自分の兄弟の妻を奪って自分の妻としたのです。ヨハネはそのことを非難し、捕らえられ、牢獄に閉じ込められてしまいました。彼は、救い主が来たのに、なぜ未だにこんな理不尽なことが起こるのかと思ったのかもしれません。ヨハネは自分の弟子たちを遣わしてイエスに本当にあなたがそうなのかと、尋ねさせたのだと考えられます。
別の理由もあるかもしれません。ヨハネ自身の信仰は揺らがなかったけれども、弟子の中には揺らぐ者もいたと考えるのです。そこでヨハネは彼らを遣わして自分の耳でイエスの答えを聞くようにしたという理由です。さらにこんな理由も考えられます。ヨハネの持つ救い主の姿とイエスの姿が違っていたということです。ヨハネのメッセージの中心は怒りの神が罪人に審判を下すというメッセージです。ですから、その怒りから免れるために人は悔い改めねばなりません。ところがイエスのメッセージは愛とゆるしのメッセージでした。もちろん悔い改めることを勧めますが、神は人を愛しているという真理が中心でした。イエスのメッセージはヨハネにとっては生易しくて甘いと思ったかもしれません。そこでヨハネは、自分と少し変わったメッセージを語るこの方は、本当に私の待っていたお方なのかと尋ねさせたのです。いずれにせよイエスの答えを短く言えば「私があなたの待っていた者だ」ということです。病人は癒され、死人は生き返っている事実をヨハネに伝えなさいと言われました。それは旧約聖書に預言されている救い主到来の徴でした。
実はヨハネはこの後も牢獄を出ることは出来ませんでした。間もなくして、まったく理不尽なことで殺されてしまうのです。王が自分の兄弟から奪って妻にした女には娘がいましたが、その娘への褒美としてその命が奪われたのです。世界には天寿を全うする人もそうでない人もいます。ある人は、このような死に方では何のために生まれたのか分からないという経験をするかもしれません。しかし、救い主は死人を生き返らせ、新しい命を与えられるというのです。この地上で生き返るのではないかもしれません。神の国で生き返るのです。ヨハネは牢獄の中で突然兵士が剣を持ってやってきたのに驚いたことでしょう。こんなところで、こんな風に殺されるなどとは思ってもいなかったでしょう。しかし、彼の心には平安がありました。私は待つべき方にお会いした。あなたですね?と聞いて、確かにそうだというお答えを貰った。私の人生に確かに神様がおられる。救い主は確かに来られたという確信を持つことが出来たのです。
◆送迎バスの東村山駅の出発時間は10時10分です。