大きな器、小さな器

説教題:「大きな器、小さな器」
聖書:マタイによる福音書 第11章7-15節
説教:齋藤 善樹 師
賛美:新聖歌20番「主の真実は奇しきかな」 新聖歌 429番「地の塵に等しかり」

 イエスはヨハネのことを女から生まれた人間の中で最も偉大だと言われました。一方でそのヨハネは天国の最も小さな者よりも小さいとも言われました。イエスは群衆に問われます。あなた方は何を見にわざわざ荒野へ出かけていったのかと。風にそよぐ葦か?違うだろう。では、立派な身なりをした人か?それも違うだろう。あなたが見に行ったのは神の言葉を語る預言者だ。マタイ3章にはとても厳しいヨハネのメッセージが語られています。「毒蛇の子らよ」と呼びかけ、「あなたがたは神の怒りから逃れられると思うな!悔い改めにふさわしい実を結びなさい」悔い改めを求める鋭いメッセージでした。神の言葉は両刃の剣です。世の中を裁くと共に自分をも裁くのです。自分の罪や弱さにメスを入れるのです。しかし、神の救いはそこに生じるのです。人々はそれを知ってヨハネのもとに来たのです。礼拝の説教を私はできるだけポジティブなものになるように努めています。福音は究極的にポジティブだからです。しかし、人間存在そのものはすべてポジティブではありません。ネガティブなものもあり、変えられなければならない部分もあるのです。説教はその部分を無視してはいけないのです。預言者はそのような役割です。往々にして預言者は孤独です。また預言者であっても、人間ですから、間違いや罪を犯します。預言者でさえ悔い改める必要も生じるのです。

 洗礼者ヨハネもそうでした。ヨハネがイエスに遣いを送ったのもそのような弱さの表れであったかもしれません。けれども、イエスはヨハネを高く評価しています。しかし、そもそも偉大な人物、大きな器とはどういう人でしょうか?寛容さ、冷静さ、自己犠牲の心、謙虚さ、柔軟性、困難に立ち向かう勇気などの資質があげられるかもしれません。ヨハネはこのような資質を備えており、預言者としての働きをしていたのです。だからとても厳しい説教でも人は聞きに集まってきたのでしょう。しかし、イエスは言われるのです。天国で一番小さい者でもヨハネよりも優れていると言われたのです。ヨハネにも足らない部分があったのでしょう。イエスのもとに使いを遣ったというのは彼の弱さを表わしていたのかもしれません。 
並みの人間よりもはるかに大きな器であったヨハネにも小ささがあった。天国の幼子よりも小さい部分があった。しかし、しかしそれ故に神に用いられたのではないでしょうか。ヨハネの戸惑う心がイエスに問いかけさせて、答えを頂きました。神にとっては人の大きさ小ささはあまり問題ではないようです。神は小さな器を補うお方です。器に穴が空いていたら、それを満たす方です。私たちも小さな土の器かもしれません。しかし、この器にはあるものを入れることが出来るのです。イエス・キリストをお入れすることが出来ます。天国でもっとも小さな者でもヨハネよりも偉大だ。それは器の中にイエス・キリストを持っているからです。天国で最も小さな者とはあなたの事です。けれども、イエス・キリストをお入れした器はあのヨハネという器よりも神の目に大きなものとなるのです。

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