説教題:「ローマ隊長の信仰:権威と愛」
聖書:マタイによる福音書 第8章 5~13節
説教:斎藤喜樹 師
賛美:新聖歌299番「山辺に向かいてわれ」1,2,3,4 新聖歌355番「主と共に歩む」1,2,3,4
「信仰と愛」は密接につながっています。今日のお話の主要な人物である百人隊長は人生の切迫した状況でこの二つのものを体現した人物でした。彼をイエスへの懇願に駆り出したものは、彼にとっての大切な人物への愛情でした。彼は「私の子」と呼んでいますが、おそらく家族同然にしていた若い僕のことでしょう。 普通、召使や僕は、主人や主人の家族とは別々に生活しており、法律上は、僕は主人の持ち物、財産でありました。しかし、この僕はそれ以上の存在、愛される家族でした。
当時、イスラエルはローマに支配されており、ローマの兵隊があちこちに駐屯しておりました。支配者側の軍人が支配されている側の人間、それも人間的には何の権威もない人物にへりくだって懇願したのです。イエスは百人隊長のこのような態度に心を動かされ言われました。「行って治してあげよう。」ところが百人隊長は答えるのです。「イエス様、あなたを家に入れる資格は私にはございません。」彼はイエスに迷惑をかけたくなかったのでしょう。当時のユダヤ人は外国人と付き合うことはありませんでした、ローマの兵隊となればなおさらです。しかし、百人隊長のこの言葉はイエスに対する配慮だけではなく、それ以上に彼のイエスへの信仰がありました。彼は言います、「軍隊には権威が大切です。私は自分の上官の命令は絶対に従います。そして、私の部下は私の命令に従います。私が行けと言えば行きますし、来いと言えば来ます。」 これはおそらく戦場でのことを話しているのではないかと思います。彼は百人の部下に命令を下します。「進軍、退却」の命令は兵士の生死を決定します。彼は自分に預けられている権威に恐れを感じることだったでしょう。ですから、細心の注意を払って命令を下すのです。有能な上官をもつ兵隊は幸いです。彼らは上官を信頼し、上官の言葉に命を懸けます。百人隊長は今、自分の僕の命をイエスの権威と言葉にかけるのです。イエスは、彼の僕と会ったことも見たこともありません。手でも触れてくれれば、より効果があるだろうと思うのが人情です。しかし、彼は神の力を本質的に理解していました。言葉だけで十分なのだ。この言葉にイエスは驚かれました。ここまで神の権威というものを知っており、そこに信頼している人間はイスラエルの中にも見たことがないとおっしゃいました。
この後にイエスが言われた「御国の子ら」というのはユダヤ人の事です。彼らは神の民として信仰を持っている者でした。しかし、彼らよりも外国人の方が優れた信仰を持っているというのです。私たちに当てはめてみれば、信仰を持っているはずのクリスチャンよりも教会の外にいるノンクリスチャンの方が神への信頼を持っているというのです。 百人隊隊長は、幼い時より聖書を学んできた割礼のユダヤ人よりも、信仰を持っていました。兵隊が上官を信じてその命令に命をかけるようにイエスを信じたのです。そして、信じたとおりになるようにと言われ、その時に僕は癒されました。信じた通りに!イエスはこの百人隊長の信仰を尊び、その力を発揮されたのです。
私達も神の愛の権威に身をゆだねることができるのです。
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