試練とストレスの世界

説教題:「試練とストレスの世界」
聖書:マタイによる福音書 第10章16-23節
説教:齋藤善樹 師
賛美:新聖歌7番「主のみいつと」1,2,3,4 新聖歌 389番「新しき地に」1,2,3,4

イエスは12弟子を送り出していく際に「あなた方を送り出すのは、羊を狼の群れの中に送り出すようなものだ」と言われました。危険な世界に弟子たちを送り出すことを意識されていたのでしょう。私達自身もイエスによって送り出されているのだと思います。私たちの送り出されている社会は決して楽な世界ではないかもしれません。イエスの予告はすぐに起こる事ではなくて、数年以降に起こる事でした。キリスト教は、教会誕生の時から数々の試練を経験してきました。まずユダヤ人から、後にローマ帝国から迫害を受けました。日本におけるキリスト教も数々の迫害を受けてきました。迫害や弾圧の理由は大体政治的なものです。今でもキリスト教が厳しい状況に置かれている国や地域が世界には幾つもあります。けれども、忘れてはならないのは教会が権力を持った時に、キリスト教徒自身が迫害する側にもなったという事です。教会は決していつも無垢であったわけではありません。

 今の日本ではキリスト教に対する弾圧はありませんが、神の前に正しく生きようとする時に私たちは様々な試練を経験することです。狼は牙や爪を持っています。羊は自分を守る術を持ちませんから、狼の餌食です。けれども、主イエスは、あなた方も狼のようになりなさいとは仰いませんでした。羊のままです。ですから捕らえられて地方法院や王や総督の前に引き出されるのです。けれども肝心なところで、あなたは助けられる。聖霊があなたを導き、語るべき言葉を教えられるというのです。

 イエスは、「蛇のように賢く、鳩のように無垢でありなさい」と言われました。この二つは相対立するように思えます。本当に爬虫類の蛇が他の動物よりも賢いかどうか分かりませんが、創世記には蛇の賢さがエバとアダムを騙して禁断の木の実を食べさせたという記述があります。蛇の賢さは無垢でも何でもありません。邪心があるのです。でもイエスは賢くあって、同時に無垢であれと言われるのです。

 世の中、無垢でない賢さに満ちています。特殊詐欺など、非常に巧妙な悪知恵です。そのような知恵を別の方向に用いれば、どれだけ人様の役に立つだろうと思いますが、イエスは鳩のような純真無垢さ、素直さを伴う賢さを求めるように言われるのです。鳩は平和の象徴であり、豊かな聖霊の働きのしるしです。私達が素直に神に求める時に知恵を与えて下さるのです。

 人間関係や人生の問題に悩む時があります。そんな時に自分の感情に振り回されずに、自分の我を主張せずに、純真に神の知恵を祈って求めることが出来ます。主イエスこそ、蛇のような賢さと鳩のような純粋さをもったお方でした。人への愛情に関して、この方ほど純粋な方はおられませんでした。そのゆえに最後は十字架に架かられたのです。蛇のような賢さだけでは神のみこころを行うことは出来ません。また逆に純真無垢さだけで十分ではないのです。ただ純粋に正しいことだけを主張すれば良いということではありません。聖霊による賢さが必要なのです。

 世の中、困難とストレスに満ちています。それぞれ、他の人には見えにくいストレスもあると思います。ストレスというものは、多くの場合、はあなたが何か価値のある行動を起こそうとする時に起こるものです。何もしなければストレスは起こりません。過度なストレスは避けるべきでしょう。けれども多くのストレスには意味があります。それはあなたが生きている証しであり、人生の実をもたらすものです。イエスの証となる実をもたらすのです。イエスは、最後に弟子たちと別れる時に、「私は世の終わりまで、あなた方と共にいる」と言われました。蛇のように賢く、鳩のように純真無垢に私を愛して下さる方が、永遠の天国まで共にいて下さるのです。

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