説教題:「屋根の上でイエスの言葉を叫べ」
聖書:マタイによる福音書 第10章24-33節
説教:齋藤 善樹 師
賛美:新聖歌223番「驚くばかりの」1,2,3,4 新聖歌 154番「来たれ友よイエスの」1,2,3,4
先日、ガザの停戦に関するニュースが世界を行きめぐりました。再建に向けてまだまだ大変ところを通られると思いますが、現地の人たちは安堵と歓喜の言葉を叫んでいました。もしかしたら屋根の上で喜びを叫んだ人がいたかもしれません。「戦争が終わった!平和が来た」と。イエスは、私があなたに語ったことを屋根の上で言い広めなさいと言われました。
今日のテキストの最初の部分には弟子は師以上の者ではないという部分があり、次に屋根の上で叫べとあり、さらに2羽の雀の話があり、神はあなたのことをすべてご存じだと言い、私を受け入れる者は、神もその者を受け入れるという言葉があります。一見バラバラで統一性がないように見えますが、共通していることがあります。それは、私たちが何者であるかという事を語っていることです。特にイエスとの関係において、何者なのかという事です。
私はイエスの弟子であって、イエスは私の師です。イエスは私の救い主ですが、師弟関係でもあります。あなたの師がピアノの先生であるならば、あなたが目指すこと先生のようにピアノが弾けるようになることです。私たちの人生の師はイエスであって、私たちが目指すのはイエスのようになることです。少しでもイエスが神と人とを愛したように、他者を愛することを目指すのです。それが私とイエスとの関係の特徴です。
私たちは時にイエスの弟子(クリスチャン)であるということで、世間から誤解を受けることもあるかもしれません。けれども、イエスはそんな事は恐れるなと言われます。何故ならいつかは本当のことが明らかになるからです。あなたがイエスの弟子であり、あなたの内にキリストが生きておられれば、その真実はいつか外に現れます。だから恐れることも焦ることもありません。
さらにあなたがイエスの弟子であることや、あなたがイエスから聞いたことを明るいところで、屋根の上で広めなさいと言われました。イエスは時にあなたの心の中に語られます。それはあなたにとって恵みであり、慰めでしょう。でもさらにそれを言葉にすることによって、あなたの内に語られたことは堅固にされます。聞いた人も恵みを受けますが、あなたにとっても幸いな事になるのです。
神はあなたをこの上もなく重んじておられ、また知っておられます。2羽の雀は1アサリオンで売られていると言われています。雀は世界中でありふれたもので、商品としては非常に安価なものです。アサリオンというのは当時のローマの貨幣単位で最小の単位でした。雀は人にとっては取るに足らないものであっても神が命を与えた創造物であり、神の目には尊いものです。一羽の雀の命さえ神は無碍になさいません。そうだとしたら、雀よりも優れ、神のかたちに似せて造られた人間をどれほど大切に思われることでしょう。
あなたの髪の毛一本も神様に数えられています。私が自分のことを知る以上に神は私のことをご存じです。人は互いにどんなに親しくても、それほど互いに知っているわけではありません。親子であっても、夫婦であっても、親友であっても、心の底まで分かっているかと言えばそうではないでしょう。神はあなたの過去のことも現在のこともすべてご存知です。それはあなたにとって嬉しいことでしょうか?怖いことでしょうか?神はあなたのことをすべてご存じの上であなたを愛しておられます。過去や現在のことを知っているだけではなく、将来のことも神の御手の中にあるのです。
このような方が世界におられるというのは素晴らしいことです。だから私たちは屋根の上に上がってまでも、そのことを世界に向けて叫びたいのです。ここに希望がある。人生は安心して大丈夫だと。また自分自身に向けて叫びます。イエスはこう語られる。だから大丈夫だと。