説教題:「神の選び」
聖書:創世記 第48章17~20節
説教:土井恵 師
賛美:新聖歌8番「七日の旅路」1,2,3,4 新聖歌325番「歌いつつ歩まん」1,2,3,4
「私たちは、神は私を選び、それぞれに使命をお与えになっていることを知る」ということを学びましょう。
- マナセではなく、エフライムを選ばれた神を知る
この48章は、ヤコブが生涯を閉じる時が近づいてきたときの話です。ヤコブは二人の孫を養子として迎え、祝福の祈りをしようとしました。当時の習わしは長男に右手を置き特別に祈るのですが、この時ヤコブは右手を弟のエフライムに置ました。あえてそうしたのです。なぜかは分かりません。けれども、聖書を見ていきますと、神さまの選びというのは、実に不思議なもので、その意味やその意図が私たちにはよく分からないという場合があります。
ヤコブの生涯を見てみてもそうです。人を押しのけ、踏みつけていく、そんな人生の歩み方でしたが、しかし、神は双子の兄エソウではなくヤコブを選び、彼を通じて神の祝福が周りに満ちていくようにされました。神は、この人は神の祝福を得るにふさわしいと思う人ではない人を選ばれる時があるのです。そして、同じ神があなたをも選んでおられます。
- 選ばれた者への使命
一つ注意したいのは、すべての人は神に選ばれています。神さまからの祝福を預かるに漏れる人はこの世にいません。では、あなたが先に選ばれているという理由は何なのか。その一つの答えが、ヨハネによる福音書15:16にあります。「あなたがたが私を選んだのではない。私があなたがたを選んだ。あなたがたが行って実を結び、その実が残るようにと、また私の名によって願うなら、父が何でも与えてくださるようにと、私があなたがたを任命したのである。」
主イエスを通じて神は、あなたが置かれている場所で、あなたにしか咲かすことのできない実を結ぶために、あなたを選んでいるのです。
具体的には、あなたが置かれている場所で、愛を持って接するということです。そして、イエスの名によって、その人の祝福を祈り願うのです。神の愛を受けた者として、神の愛に生きるのです。主は、私たちが神からの使命に生きようとしていく時、助けをあたえ、支えてくださいます。神の選びに生きていく時、神は私たちをむげにはされず、祝福をもって顧みてくださいます。私にしか与えられていない使命に、謙遜にへりくだりの思いをもって、生きていく私たちでありたいと思います。