揺るがない堅固な土台

説教題:「揺るがない堅固な土台」
聖書:テモテへの手紙 二 第2章14~26節
説教:松島基紀 修養生
賛美:新聖歌141番「イエス君は」1,2,3,4 新聖歌145番「栄に満ちたる」1,2,3

 今私たちが読んでいるテモテの手紙二は、使徒パウロが後輩のテモテに宛てて書いた書簡です。当時テモテが仕えていた教会では誤った教理が広がっていたという問題があり、一部の人の信仰が覆されていました。(17、18節)そのような混乱の中にあるテモテに対してパウロは私たちが揺れ動くようなことがあっても、私たちの土台は揺るがないということを語ります。それが18節の御言葉です。

 「しかし、神の堅固な土台は揺るぎません。そこには、こう刻まれています。『主はご自分の者たちを知っておられる。』また『主の名を呼ぶ者は皆、不正から離れよ。』」

 現代に生きる私たちは、誤った教理に惑わされるといった問題に直面することはあまりないかもしれません。しかし、様々なことによって自分の信仰が覆されそうになる経験をしたことがあるのではないでしょうか。そのような危機にあって私たちはまず自分の基礎がどこにあるかを確認することが重要なのです。そうしたとき、私たちは神の土台が堅固で揺るがない、私たちが揺らいだとしても神は揺らぐことがないことを知るのです。

その土台には二つのことが記されています。これは私たちの生き方を指す指針と言えるでしょう。「主はご自分の者たちを知っておられる」「主の名を呼ぶものは皆、不正から離れよ」このことを基礎に私たちは生きていくのです。

一つ目に「主はご自分の者たちを知っておられる」ということです。私たちは人に話せない悩みや弱さ、そして罪の問題を抱えています。人に知られたら自分がどう思われるかわからない、だからこれは自分で抱えていくしかないと思うことがあるかも知れません。しかし主なる神は私たちの全てをご存知であり、私たちの罪深さを知っているからこそ、その罪を赦すために十字架に架かってくださったのです。

二つ目に「主の名を呼ぶものは皆、不正から離れよ」ということです。これは神の土台に立つものの具体的な生き方の指針です。私たちは十字架の血潮によって罪赦され、聖められたものとして歩むのです。しかし不正から離れるというのは何か禁欲主義のようなものではありません。私たちは正しいお方である神に近づくことによって、不正から離れるのです。これは義務ではありません。むしろ神の土台に立ち返り、その恵みを知るとき、私たちは神の方におのずと近づくのです。そして神に近づき、自分を清めるものは主によって用いられる尊い器に作り変えられていくのです。

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