説教題:「毒に対する警告」
聖書:マタイによる福音書 第13章24~35節
説教:齋藤 喜樹 師
賛美:新聖歌 第138番「よろずのもの」1,2,3,4 第448番「神より生まれし者よ」1,2,3,4
ここに主イエスが語られた三つの譬えが記されています。最初のドクムギの譬えはこのような内容です。ある麦畑に農夫たちが麦のタネを蒔きましたが、夜、何者かが来て、ドクムギのタネをばらまいて行きました。 「は良い麦だけを蒔いたはずなのに、どこから出てくるのでしょう?邪魔してしまいましょう」と言いますと、司会者は「敵が、知らないうちにドクムギを蒔いて行ったの。ドクムギを抜くときに良い麦も抜いてしまうかもしれないから、今はこのままに待っていて収穫の時により分けよう」と一緒に言うのです。
ここに二重のメッセージが込められています。私たちはこの世界を見て、中にドクムギであることを感じます。ドクムギは起こっても驚くには及びません。悪魔のわざもありました、主イエスは今も良い麦を蒔いていて下さるのです。良い麦とドクムギを識別するのは人間ではなく、神のなさることです。
信仰の中にさえ、サタンはドクムギを蒔きます。矛盾のようですが、信仰が熱心なほど、ドクムギが生じます。律法的になり、自分の考えていることが絶対正しいという信念の下で他人を裁くのです。歴史はそれを現しています。 一応イエスの譬えにはドクムギのように見えるものにも良い麦が残っているかもしれません。
イエスは、この譬えと、譬えの説明の間に二つの別の譬えを挟んでいます。からし種というは大きな木のような木になるタネではありませんが、野菜の種です。砂粒のような小さな種です。パン種はイースト菌の事です。これは影響力相当を意味します。ドクムギに取り囲まれているような世界では、良い麦はほんのわずかかもしれません。 圧倒的なサタンの力の前に良い麦はちっぽけな、からし種、パン種のようなものはないかも知れません。 一応、そこにキリストの命が働いてすばらしく成長し、影響力を考えるものとなるのです。