説教題:「永遠の命に生きる」
聖書:ヨハネ福音書3:16、Ⅱコリント4:16-18
説教:斉藤善樹 師
賛美:新聖歌138番「よろずのもの」1,2,4、新聖歌471番「われ聞けりかなたには」1,3
使徒信条の最終回、「永遠の命を信ず」という言葉から学びます。永遠の命とは神がお与えになる最大のものと言って良いと思いますが、私達には理解しがたい言葉であるかもしれません。しかし、私達は、聖書から永遠の命とはどんなものか、それをどのように生きる事ができるか学ぶことができます。
▼ 私達の肉体の命は体が亡くなれば終わりです。齢をとりますし、病にもなります。しかし、永遠の命は肉体が滅びても無くなりません。さらに、永遠の命は死んでからはじめて与えられるものではなく、今、ここで信じる時に与えられるものです。イエスはヨハネ3章でニコデモという人に会っています。イエスは、開口一番「人は新たに生まれることなしに神の国を見ることはできない」と言われました。
▼ニコデモがそもそもイエスに会いに来たのは、イエスから学びたいと思ったからです。ニコデモは学識と経験豊かな教師であり、国会議員でした。彼は自分の知識や経験に磨きをかけ、もっと有能で立派な人になりたいと思ったのでしょう。しかし、イエスは、今までの知識経験の上に何かを積み重ねるのではなく、むしろ今まで身につけてきた全部はご破算にして、赤ちゃんのようになるのだと言われたのです。イエス・キリストの前に立つ時、老人も幼子も若者も男も女もみな幼子のようになって信じ受け入れるのです。
▼ 永遠の命を信じて生きるとは「見えるものではなく、見えないものに目を注いで」生きる事です(Ⅱコリント4章)。見えるものとは何でしょう?私達の身体、もちろん大切に扱うべきものです。でもそこに望みをおくのではありません。様々な人間関係はどうでしょう?これも大事にしなくてなりません。けれどもこれらによって私達は心揺るがされる必要はありません。見えるものはしばしば私達を恐れや不安へと引き込みます。しかし、どんな時でも私達は見えない神の愛に望みをおくことができます。
▼見えないものに注ぎ、永遠の命を信じて生きることが大切な事です。神は、私達が見えな神に頼ろうとする時に、私達の信仰を支えて下さいます。物事は私の期待した通りにならないかもしれません。しかし神はあなたの信仰をないがしろにされず幼子のように信じる私の信仰に応えてすべてを最善へと導いて下さるお方です。