イエスの呼びかけ

説教題:「イエスの呼びかけ」
聖書:マタイによる福音書 第4章 18~25節
説教:斎藤善樹 師
賛美:新聖歌208番「イエスは愛で満たす」 新聖歌395番「主はガリラヤ湖の」

 ここに、ペテロと呼ばれるシモン、その兄弟アンデレ、そしてヨハネとその兄弟ヤコブが登場します。彼らはイエスの呼びかけに応じて直ぐに従いました。このくだりを読むと、随分と話しが早いと思われます。けれども他の福音書を併せて読むと、四人は既にイエスと出会っていて、それだけでなくイエスの弟子になっていた事が分かります。

▼湖畔での呼びかけはどのような意味があったのでしょう?それは奉仕のわざへの呼びかけでした。今まで彼らの生活の軸足は漁師という職業にありました。ところがこの時、彼らは網を捨てて、イエスに従ったのです。イエスに仕えるという事がフルタイムになったのです。

▼23節以下を見ると、イエスの忙しさが分かります。全国から人々がイエスのもとにぞくぞくと集まってきました。イエスは言葉によって福音を伝えるだけではなく、病人を癒しておられました。群衆は「様々な病気、痛みを持っている人、悪霊につかれた人、発作を起こす人、体が麻痺している人たち」を連れて来ました。野戦病院のような、一大医療活動でありました。弟子たちはイエスの忙しさを知っており、イエスの語っている内容に心服すると同時に、イエスの働きに参加したいという思いを持っていたのでしょう。そこでイエスに声をかけられた時、すぐに従ったのです。この呼びかけは奉仕への呼びかけでした。

▼この呼びかけは、全ての人になされたのではありません。謂わば、クリスチャンのすべてが牧師になるわけでも宣教師になるわけでもありません。しかし、全てのクリスチャンはイエスの弟子です。四人は既にイエスの弟子でした。私達も、みなイエスの弟子です。イエスに従う弟子なのです。イエスはユーモラスな表現をなさいました。あなたを「人間をとる漁師」にしてあげようと。弟子達はこの言葉が大好きだったのだと思います。今までは漁師として魚が相手だったけれどもこれからは人間を相手にするのです。キャンベル・モーガンという人は、神はすべての人が牧師職につくようには呼びかけていない。しかし、イエスはあなたが持っているものを使ってイエスのために用いよと仰るというのです。モーガンは教師でした。しかし、ある日、イエスから、人を取る教師になりなさいと呼びかけられたのです。それで彼は従いました。イエスに従ってついていく時に、私達は、今自分のしている事が断絶するわけではありません。あなたはあなたのままです。しかし、より高いイエスが与える目的に生きることができるのです。

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