説教題:「なぜ宗教はたくさんあるの?」
聖書:創世記 第1章1-5節
説教:斎藤善樹 師
賛美:新聖歌21番「輝く日を仰ぐとき」1、3、5 新聖歌89番「神は独り子を」1、3、4
宗教というものが世界には何故たくさんあるのか?一つの答え方は、人間にはそれぞれ様々な願いごとがあるからだということです。確かに、人の願いに応えるようにたくさんの神様、仏様がいます。縁結びの神様、安産の神様、受験の神様、ぽっくり逝ける神様さえあります。あなたの願いは何でしょう?その願いは誰にするのでしょうか?ディズニーの有名な歌で「星に願いを」という美しい曲があります。主人公のピノキオは人間になりたいという願いを星に託します。そして物語の最後で木の体から人間の体になるのです。
さて、聖書には、様々な願いをもった人間が幾人も登場します。バルテマイという男性は視力を失い、盲人になって道端で物乞いをしていました。ある日、彼のそばをイエスが通られると聞き、目を治していただけるかもしれないと思って、大声で「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」叫び続けました。イエスはその声を聞き、その人を呼んで、「あなたの願いは何なのか?」と問われます。 彼は躊躇なく答えます、「先生、もう一度見えるようになることです」。バルテマイの願いは叶えられました。
私達人間はみな願いごとを持つものです。全く願いごとがない人間などは死んでいる人間です。願いごとを持つことは人間であることの証です。私達は問題が多い時にこそ願いを強く持ちます。今、世界では二つの戦争が起こっています。毎日多くの人間が負傷し、命を失い、愛する人を失い、家を失くしています。彼らは戦争が終わることを願っています。平和に生きていけることを切実に願っています。また多くの人が深刻な病の中に苦しんでいます。また家族が病を負っている人もいるでしょう。病が癒される事、問題が解決することを心から願っておられると思います。そう言う私にも強く願うことはあります。
興味深いことに私達の信じる神様という方も願いごとを持たれるようです。聖書は、神はこの世界と人とを造り、それを愛され、世界の幸いと人の幸いを願っておられると云うのです。この世界には神の願いが込められています。しかし、残念ながら人は神の願いを裏切り、神から離れてしまいました。結果が今の世界です。にもかかわらず神の願いは変わりません。人の幸いを願って、私達に働きかけられます。そして人の救いを願ってご自分自身が人となってこの世界に来てくださいました。
盲人バルテマイは闇の世界から救われたいという一心で、その願いをイエスに伝えました。心の底からの願いでした。そしてイエスとのつながりは、目が治って終わりではありませんでした。「なお道を進まれるイエスに従った」とあります(52)。生涯、続いたものだったと思います。バルテマイはその歩みの中で心の底から願うことを神はかなえられることを知っていったことでしょう。
あなたの願う事は何でしょう?時には私達は近視眼的で、目先の事だけで何かを求めます。けれども、どんな事でもあなたの心から強く願う事を神に願う事は大切な事です。すべての願いごとが叶うわけではないかも知れません。けれども神は何よりあなたの幸いを願っておられます。そして、神に祈る私達の心に働きかけ、その願いにこたえて下さるのです。この世界には私達の願いを知って、それに答えようとなさる愛の神様がおられるのです。