説教題:「破れ口に立つ者」
聖書:使途言行録 第6 章1-7節
説教:根田祥一 兄
賛美:新聖歌166 「威光・尊厳・栄誉」 新聖歌341「恐れなく近寄れ」1,2,3
ギリシア語を話すユダヤ人からヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。そこからわかるのは、①教会では母国語の違う人たちが一緒に礼拝していたこと、②教会では社会的に弱い立場のやもめがケアされていたこと。1世紀の地中海世界には、母国を離れて異文化圏に移り住むユダヤ人たちがいた。彼らは外国でもシナゴーグをつくり礼拝した。当時ローマ帝国の標準語はギリシア語。移住した第一世代はヘブライ語で生活していたが、子や孫たちはギリシア語が母語になる。教会にはギリシア語を話す人とヘブライ語を話す人の両方が集っていた。今の日系1世と2世・3世に似ている。言葉が違えば文化や発想の仕方が異なる。互いの考えが理解できず誤解が生じる異文化間ギャップがある。
一方、旧約聖書にはやもめや寄留者を大事にしなさいという教えが繰り返し書かれている。古代社会では夫のいない女性や母子家庭の生活は今以上に大変だった。教会は弱い立場の人たちを大事にして助け合っていた。ところがギリシア語を話すユダヤ人たちから見ると、自分たちのやもめが差別されているように感じたようだ。真相はわからないが、同じような状況は現代の教会でも起こる。それが、星野優さんが使命感を持った「帰国者クリスチャン」問題だ。
現代は1世紀よりもっと、海外で暮らす人たちが増えている。外国で暮らす間に福音に触れ、クリスチャンになる人々がたくさんいる。欧米のオープンな文化では温かい交わりに溶け込みやすい。そのような中で福音に触れて信仰を持つ人は、日本でクリスチャンになるより対人口比で多い。海外日本語教会は、日本宣教の突破口になっている。ところが、海外のオープンで温かい交わりを経験して帰国すると、日本の教会は暗くて冷たいと感じるようだ。福音の本質ではなく、異文化間ギャップの問題だ。
優さんが献身するJCFN(Japanese Christian Fellowship Network)は、アメリカで信仰を持った人たちが帰国後、日本の教会に馴染めず信仰生活から離れてしまうことに心を痛めた人たちによって立ち上げられた。帰国する人たちに、文化の違いで日本の教会につまずかないように励まし、異文化の誤解を避けるようにケアする。日本では帰国者カンファレンスが開かれる。そこではハグし合い、おしゃべりをし、一緒に食事をし、賛美し、悩みを分かち合う。そして水を得た魚のように元気になって、またそれぞれの教会へ帰って行く。
使徒言行録の教会は、異文化ゆえの軋轢が起きたとき、それを「信仰には関係ないささいな問題」として放っておかなかった。使徒たちはそれを教会にとって大切な問題だと捉え、この問題をケアするためのチームを立ち上げた。その結果「こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った」という実りを得た。この問題にあたるために選ばれた人たちは信徒だ。JCFNを担っているのも信徒の働き人が中心で、それに賛同する牧師・宣教師たちが協力している。
説教題は「破れ口に立つ者」。古代都市は城壁の破れ目から敵が侵入して滅ぼされてしまう。エゼキエル書22章30節には、神が「破れ口に立つ者」を求めていると書かれている。神の恵みの業を損なう破れを防ぐために立ち上がる者はいないのか、という召しの言葉だ。神は今、海外でイエスを主と信じる人たちを起こしている。にもかかわらず、彼らが帰国したとき日本の教会が受け皿になれないとしたら、それは神を悲しませる「破れ目」だ。JCFNの働きはその「破れ口に立つ」ミッション(使命)を担っている。優さんを祈って送り出したい。