説教題:「罪を赦す愛」
聖書:マタイによる福音書 第9章1~8節
説教:齋藤善樹 師
賛美:新聖歌232番「弱き者よ」1,2,3,4 新聖歌266番「罪 咎を赦され」1,2,3
この愛すべきイエスの物語は三つの福音書に記されています。マタイでは省略されていますが、マルコとルカには、人々は病人をイエスの前に連れてくるために家の屋根に穴を開けたことが書いてあります。微笑ましいと言えるような出来事でしたが、そこには神の人への真実なメッセージが含まれており、イエスの愛が満ちている出来事でした。
イエスはこの病人に「子よ」と呼びかけられました。彼らの行動は迷惑な行為でしたが、イエスは、病人の痛みや苦労を理解し、親がわが子に向けるようなまなざしで呼びかけるのです。続けてイエスは「元気を出しなさい」と言われました。他の訳では「しっかりしなさい」とも訳されます。病人は体が動かないだけではなく、精神的にも打ちひしがれていたのです。「元気を出せ」という言葉は状況によっては人を余計につらくさせかねないものです。けれども、イエスの言葉はそうではありませんでした。実はイエスは、他に、三つの場面で語られています。1番目はこの箇所で、2番目は長年、病気で苦しんでいた女性に対してです。彼女は人ごみに紛れておずおずとイエスの服の裾に触れました。すると、その瞬間彼女は癒されたとあります。イエスは彼女を見つけ出し、「しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言われました。三つ目は夜半、弟子たちが舟で湖を渡っている時でした。彼らは闇の中でイエスが湖の上を歩いておられるのを見て、恐ろしさのあまり叫び声をあげたとあります。その時に、イエスは、この言葉を言われるのです。今度はこう訳しています。「安心しなさい!私だ。恐れることはない。」正体の分からない幽霊だと思ったのが、あの慕わしいイエスだったのだから、それはもう安心です。何も怖いことはありません。
私はこの言葉を「大丈夫」と訳したいと思います。病気の女性に向かっては「あなたは大丈夫。あなたの信仰があなたを救った。」弟子たちに向かっては「大丈夫。ここにいるのは私だ。怖がることはない。」そして今回の病人に対しては、「あなたは大丈夫。あなたの罪は赦された」と言われたのです。
私たち人間は、自分と正直に向き合うならば、罪という問題を避けることはできません。自分の嫌な部分、汚い部分、神に背く自分に気づきます。こんな自分が明らかになったら誰でも嫌になってしまうだろうという部分を持っています。けれども、神はあなたの汚れた部分を一切合切ご存じの上であなたを愛しておられます。それが赦しなのです。あなたをどうしても赦せない人がいるとしたら、あなたの罪の部分によって傷ついた人々です。人間は本来自分を傷つけた者を赦すことはできません。それこそが、罪人である証拠なのです。でも、イエスは愛をもって赦してくださいました。それ故に、人生は価値があり、神の愛と力が働くのです。けれども、人は律法学者のように疑うでしょう。「本当か?何の根拠でそんなことが言えるのか」と。イエスは、ご自分の言葉が真実であることを、超自然的な力をもって、病人の病をいやすのです。
病人は癒され、「起きて床を担いで家に帰りなさい」と言われました。彼のその後の人生はどうなったでしょうか?この人は、これからも病気になったかもしれません。治らない病気でついには地上を去る時が来たでしょう。しかし、彼はイエスの言葉を忘れなかったのに違いありません。「元気を出しなさい。あなたは大丈夫。あなたの罪は赦されている。」イエスの言葉は彼のうちに希望として残り、永遠のみ国へたどり着くまで彼を力づけたことでしょう。あなたもイエスの前に連れてこられた病人です。イエスはあなたに「子よ、大丈夫。あなたの罪は赦された」と言われるのです。