神の言葉に留まる

説教題:「神の言葉に留まる」
聖書:テモテへの手紙二 第3章1-17節
説教:松島基紀 修養生
賛美:新聖歌427番「ただ主を」1,3,5 新聖歌259番「聖いふみは教える」1,2,3

Ⅱテモテもいよいよ終盤に差し掛かってきています。今日の箇所でまずパウロは終わりの日におとずれる困難な時期について語ります。ここには様々な悪徳が記されていますが、その最初には「自分自身を愛し」とあります。この「自分自身を愛する」ということは言い換えるならば自己中心であり、神を第一にせず自分を第一にする姿です。そしてこれの後に続く具体的な悪徳はこのことから派生しているといえます。そのような人々の有り様がこの時も、そして今も私たちクリスチャンを取り巻いているとパウロは語るのです。

 ではそのような中にあって私たちはどのように生きていけばよいのでしょうか。14、15節にはこうあります。「だがあなたは、自分が学んで確信した事柄にとどまっていなさい。あなたは、それを誰から学んだかを知っており、また、自分が幼い頃から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに至る知恵を与えることができます。」

 パウロはテモテに対して彼がこれまで学んできたことにとどまるようにと勧めます。それはテモテの側で様々なことを教えてくれたパウロの姿はもちろんですが、何よりも聖書から学んだことにとどまりなさいと語るのです。

 私たちもこれに聞き、聖書から学んだ事柄、そしてその御言葉にとどまりたいと思います。実は、とどまるということは、実は私たちが選び取らなくてはいけないことです。ただじっとしているのではなく、とどまるということを決断するのです。それは私たちが聖書を通して「キリスト・イエスへの信仰を通して救いに至る知恵」を受け取っているからです。

 聖書は神様ご自身が人間を通して書かれた書物です。それが霊感という言葉でここに表されています。その聖書が一貫して私たちに語るのはイエスキリストが私たちの救い主であり、私たちは神の愛故にその救いに預かることができるということです。そのことを神自身が語っておられるのです。

 

 このことをよく知り、受け止ようとする時、私たちは御言葉にとどまることができるようになります。そしてそれによって私たちは「善い行い」ができるように整えられていきます。まさに私たちが聖書に表された神の愛を表す者とされていくのです。これこそが、終わりの時にあって私たちに勧められる生き方なのです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次