説教題:「ワンダフルカウンセラー」
聖書:イザヤ書 第9章 第5節
説教:齋藤善樹 師
賛美:新聖歌 第68番「久しく待ちにし」1,2,4、新聖歌 第88番「ひとりの御子を」1,2,3
イザヤ書9章には、有名なキリスト(救い主)の誕生についての預言が記されています。イザヤはイエス・キリストがお生まれになる700年以上前に生きた人です。イザヤはキリストについて4つの呼び名を記しました。「驚くべき指導者」「力ある神」、「永遠の父」、「平和の君」です。お分かりになるように、その方はただの人ではなく、神、そのものであることの表現です。神が人となって私たちのところに生まれて下さったということです。協会共同訳「驚くべき指導者」と訳されている言葉は、ほとんどの英語訳で「ワンダフルカウンセラー」となっています。今日は特にこの言葉から、救い主が私たちにどのようなお方であるかを考えてみたいと思います。
カウンセラーには二つの本質的な要素を持っています。その一つは「聴く」ことです。救い主なる神は、私たちの声を聴く神です。聴くことの大切さは強調しすぎることはありません。世の中は、聴くことよりも、自分を主張することの方を優先する社会です。牧師の仕事の半分は聴くことです。4年前に私は心を病んだころ、聴いてもらうことに飢えていたのだと思います。自分のことを話して聴いてもらうということに心の安らぎを感じました。妻が私の心の状態を聴いてくれました。医者が聴いてくれました。看護師が聴いてくれました。
聴いてもらうことは自分が大切に扱われているという経験です。相手は自分のために時間を取って、自分の云いたいことも横において、私の話を聴いてくれるのです。だから私たちは人に話を聴いてもらうと安心するのです。聴くことは愛することであり、聴いてもらう、というのは、愛されることなのです。私たちの救い主は、私たちの魂の奥底の声を聴いてくださる方なのです。
さらにカウンセラーの資質で重要なことは「共感」です。一緒の泣いたり笑ったりすることです。人間は、一緒に喜んでくれる人がいると喜びは倍増しますし、一緒に悲しんでいる人がいると半減すると言われますが、共感は人間にとって不可欠なことです。誰かが共にいてくれるだけで世の中は変わったように思えます。共感するには、相手と同じような経験を持つことが必要です。世の中にもし何の苦しみも経験したことのない人がいたとしたら(おそらくいないでしょう)、共感ということも出来ないでしょう。
共感とは心理学の用語ですが、古くから聖書には、その概念があります。ローマ書の「泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜びなさい」という言葉は良い例です。それは泣いている人の世界に入っていき、その人の感じていることを感じることです。喜んでいる人の世界に入っていって、その喜びを共に喜ぶのです。共感とは単なる同情とは違って意志と決断をもって、その人を理解しようという姿勢から生まれます。一歩進んでその人の世界の入っていくことです。
まさに、神はそのことを私たちにしてくださいました。神はご自分の天の世界に留まらないで、そこから出て、私たちの世界に入ってくださいました。それが、一人のみどりごが私たちのために生まれたという意味です。私たちの苦しみや喜びを私たちと同じような体をもって経験して下さるのです。アダムとエバが罪を犯したため、エデンの園から追放されてしまいました。以来、人類の苦難の歴史が始まりました。神はどこにおられたのでしょうか?神はエデンの園に居残ることをなさらず、自らそこを出て、人類の救いのために、私たちのこの世界に入って来られたというのが聖書のメッセージです。それがクリスマスです。戦争があり、貧しさもあり、病もある世界、でも時には喜びもあり、楽しさもあるこの世界。神はこの世界に飛び込んで下さり、私と同じ経験をして、そのうえで私たちを憐れみ、愛し、救いを与えて下さる方なのです。