口から出るもの、入るもの

説教題:「口から出るもの、入るもの」
聖書:マタイによる福音書 第15章 1-20節
説教:斎藤善樹 師
賛美:新聖歌 第38番「わが目を開きて」 第376番「如何に汚れたる」

 口に入るものは人を汚すことはなく、口から出るものが人を汚すと主イエスは言われました。これは衛生上のことではありません。昔からユダヤ人の間では食事の前に手を洗うという習慣がありましたが、それは、宗教上の儀式でした。食物は聖いものでなければならず、彼らは食べ物を聖い物と聖くない物を厳格に区別していました。また、聖い食べ物であっても、口に運ぶ手が汚れていれば、食物も汚れてしまいます。ですから、手をきよめて食事をしたのです。それほど彼らは自分の身を聖く保つために努力をしていたのです。汚れた世間から身を清めるのです。

 日本の仏教や神道にも、きよめの儀式や穢れをお祓いしたりする習慣がありますが、 ユダヤ人の間ではこれらの儀式を掟として厳格に守っていたのです。ところが、この儀式をイエスの弟子たちは守っていなかったようです。彼らだけではなく、一般庶民にとってすべての宗教儀式を守ることは困難でした。野良仕事をするお百姓さんが畑で弁当を食べる時、羊飼いが草原で昼食をとる時、清めの儀式は困難な事だったことでしょう。イエスはエルサレム当局から目をつけられており、イエスに質問した者たちはイエスを罠にはめて捕らえようとしていたのです。しかし、イエスは、彼らこそ人間のルールで真の神の掟をないがしろしていると、逆に彼らを非難されました。彼らは激しく怒り、ますますイエスに対して敵意を抱くようになりました。

口に入るものが人を汚すのではなく、口から出るもの、心から出るものが人を汚すのです。食べ物によって、私たちが道徳的に、霊的に汚れることはありません。私たちを汚し、神から遠ざけてしまうものは人間自身の内側から出てくるものです。それは悪い思い、殺人、姦淫、淫行、盗み、偽証、冒涜などです。つまり私たちの心の在り方とそれによって現れる行動です。この一週間、家族に対する思い、職場や学校で経験した自身の思いや、言葉などに、嘘や人を傷つける言葉、人を妬む心、憎む心などはなかったでしょうか?そういった思いや行動は、変なものを食べたから出てくるのではなくて私の内側から出てくるものです。私たちは外側よりも内側に目を向けて、私たちの心や魂が聖くされること、人を愛することを求めるべきです。

 そのような悪い思いをもってしまう私たちをも神は愛して下さっています。赦して下さり、私たちが少しでも神に近づくように、私たちを真実なもの、愛に満ちた者へと変えようとしてくださるのです。新しい一週間、私たちはこのみ言葉を振り返りつつ過ごしたいと思います。心の問題に目を向けるべきと言いましたが、行動がどうでもいいという事ではありません。時に私たちのささやかな行動が私たちの内なる心を豊かにさせます。繰り返して言っていることですが、1日5分の祈りを大切にしましょう。言葉がなくて、静かに神の前に座り、沈黙あるいは自分の心のうちを神に打ち明ける女官をもちましょう。神は私達さえ手の届かない私の心の内面、さらに私たちの生活さえも変えて下さるお方です。

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