説教題:「誰が為のクリスマス」
聖書:ルカによる福音書 第2章 8-20節
説教:松島基紀 修養生
賛美:新聖歌 79番「天には栄え」1,2,3、新聖歌 185番「来たれ誰も」1,2,3,4
アドベント3週目を迎えました。来週はいよいよクリスマスがやってきます。皆さんはご家庭やご友人との中でどのようにしてクリスマスをお祝いするでしょうか。
もしかすると、教会でクリスマス礼拝やキャンドルサービスなど、多くの催しがあるから家では改めてクリスマスを祝うことをしないかたもいらっしゃるかもしれません。私の育った家庭はどちらかというとそうだったのです。
しかし、クリスマスは私たちのために起こった出来事です。私たちのために救い主がお生まれになったことを祝う日です。今日はそのことを共に考えたいと思います。
今日の箇所で注目したいのは羊飼いとマリアについてです。この二組はクリスマスの出来事に対して対照的な反応をしているのです。
まず、羊飼いたちは天使から救い主がベツレヘムに生まれたという知らせと聞くと、その赤子を探しにベツレヘムに向かいます。そして飼い葉桶に寝ている赤子を探し出し、そこにいたマリヤとヨセフに自分たちに起こったことを話し、最後には神を賛美しながら帰っていきます。非常にアクティブな反応に見えます。
一方マリヤは、羊飼いたちが自分のもとに訪れ、天使が羊飼いたちに告げたことなどを聞いた時、それらのことを「心に留めて、思い巡らした」と書かれています。羊飼いと比べるとパッシブな感じに見えます。
この二組の対照的な反応ですが、私たちはこのどちらにも倣いたいと思います。そこにクリスマスが私のための出来事であると受け取る鍵があるからです。
羊飼いたちの反応には、信仰のジャンプが見えます。天使が告げたことが本当かはわからない。けれども行って見ようとそこに期待をして飛び込んだのです。その先で彼らは天使の知らせが本当であったことを知るのです。
マリアの反応には、神様の驚くべきわざをじっくり考え、受け止める信仰が見られます。結婚していない自分が身籠り、さらに生まれた赤子が神の子であり救い主であるということはそう簡単に受け止められるものではないでしょう。しかし実際に起こっている現実と天使を通して語られた神様の言葉を重ね合わせていくように、思いを巡らせたのです。
私たちは彼らに倣って残りのアドベントを過ごしたいと思います。クリスマスが自分のために起こったという聖書の語る事実に飛び込む。そして時にその意味と自分の現実を思い合わせていく。その中で私たちはクリスマスが自分のための出来事だと受け止めることができるのです。