説教題:「星の輝き」
聖書:マタイによる福音書 第2章1-12節
説教:齋藤善樹 師
賛美:新聖歌 83番「ああベツレヘムよ」1,2,4、新聖歌 76番「もろびとこぞりて」1,2,4,5
クリスマスと言えばOO?と聞かれれば何と答えるでしょう?「クリスマスと言えば旅」と言えると思います。クリスマスを描く二つの福音書は、それぞれ旅の物語を語っています。旅の物語というとロマンチックな感じがしますが、この二つの旅は楽なものではなく、危険と苦労が伴う旅でした。ルカが描く旅は、マリアとヨセフの貧しい旅、そしてもう一つ、マタイが描く旅は、東方の博士たちの長い旅でした。彼らは、ユダヤで偉大な王が生まれたという星のしるしを見てユダヤのベツレヘムまでやって来ました。
彼らは天文学専門の博士でした。星を観測し、そこから何らかのしるしを読み取るのです。夜空に不思議な強い輝きの星が突如として出現し、驚いた彼らは調査し、古い文書から、その星はユダヤに新しい偉大な王様の誕生を知らせるものだと知りました。
長い旅の末、ユダヤの地についた彼らは、都エルサレムでヘロデ王に「新王はどこで生まれなさったのか」と聞くのです。王は仰天し、急いで学者たちを呼び集め、王、メシアはどこに生まれると予言されているかと問います。その地がベツレヘムであることが分かるとそれを博士たちに伝え、見つけたら、すぐに報告するように命じます。博士たちは喜んでベツレヘムを目指します。するとここでまた不思議なことが起こりました。彼らに王の誕生を知らせた星が、彼らの前を進んで目的の家まで導いたというのです。これはなかなか理解しがたいことなので、大抵の映画やドラマででは上空の星がサーチライトのように一軒の星を差し示したという風に描いています。具体的に博士たちがどのような経験をしたか分かりませんが、重要なのは神によって彼らが導かれたという事実です。
人生は旅だと言われます。旅にはガイドが必要です。博士たちにとってガイドは星でしたが、私たちにとっては聖書のみ言葉だと思います。人生の岐路に立った時、私たちに指針を与えるのはみ言葉です。博士たちは天文が専門だと言いましたが、仕事の半分は星占いでした。人間は占いが好きなのだと思います。雑誌などには必ずと言っていいほど、星占いの欄がありますし、朝のニュースショーにも出てきます。占いを本当に信じているかと聞かれれば、80%の人は信じていないと答えるそうですが、その割には読者は多く、云われることに心が影響されたりします。こんな占いの言葉に心動かされるのならば、なぜもっと聖書の言葉に頼らないのかと思います。
み言葉は人生のガイドです。道に迷うとき、どうしてよいか分からなくなった時、何が重要であるか分からなくなった時、み言葉は私たちの旅の道しるべとなります。素直にみ言葉と自分の生活を照らしてみると私たちがすべきことが見えてきます。たった一人の時に、み言葉は私に語ります。また誰かと一緒にみ言葉と向き合う時に神は語られます。
さらにみ言葉はあなたに大きな喜びをもたらします。星がついに彼らを幼子まで導いた時、彼らは喜びにあふれたと聖書にありますが、こんな訳では足りません。もっと正確に訳すと喜びというものを超喜んだという表現なのです。それは失われることのない喜びです。苦労が報われるという言葉があります。人知れない悩みに苦しむことがあっても、この喜びはすべての苦労を忘れさせる喜びなのです。私たちがいつか天で主イエスとまみえる時に経験する喜びはすべての地上での悲しみや苦しみを忘れさせるものです。博士たちの故郷を遠く離れた長い旅は、幼子イエスの顔を一目見てすべて報われたと思われたのに違いありません。大きな喜びというものはそのようなものです。神はそのような人生の喜びへと、そして永遠の喜びへと導かれる方です。