クリスマスイブ礼拝 キャンドルサービス

  クリスマスは喜ばしい日です。楽しい催しものがたくさんあって、プレゼントがあって楽しくするものです。しかし、すぐに過ぎ去ってしまう喜びは何となく空しいものです。終わった後は、空虚な気持ちが心に飛来します。いつまでも続く喜びを知りたいと思います。今、世界中の人が望んでいる喜びとは何でしょうか?それは平和の喜びではないでしょうか?国と国などの大きな平和は言うまでもなく、私たちの生活と密接にかかわる平和。あの人との平和、この人との平和、家族の平和ではないでしょうか。けれども、そのように願う私たちの世界は、分断された世界、対立が煽られる時代です。世の中、こちら側とあちら側に分けた方が都合が良いと考える人たちが多いのです。こちらが正しくてあちらが間違っているのです。よりシンプルなのですが、それでは平和は来ません。残念ながら、平和を願っていながら、人間は自ら分断の世界を作っているのが現実です。
 羊飼いたちに世界のすべての人々の為の喜びを伝えた天使は、「天では神に栄光あれ、地では平和があるように」と歌いました。生まれてくる子は、平和の君、平和の王と呼ばれました。そうです。クリスマスのテーマは喜びであり、平和です。ところで、戦争がない平和という意味では、世界には様々な平和があるのだと思います。イエス・キリストがお生まれになった世界はパックスロマーナと呼ばれる「ローマによる平和」でした。歴史的に、戦争が何百年もない時代が続くのです。ルカの福音書の2章の冒頭に皇帝アウグストゥスが全世界の人口調査の命令を出したとあります。この皇帝、別名をオクタヴィアヌスと言い、ユリアス・シーザーの甥です。ローマは、最初は共和制でしたが、後に皇帝による独裁制となります。アウグストゥスは帝国の最初の皇帝であり、パクスロマーナを作り上げた人物でした。実際にイエス・キリストの生まれた時は、戦争はありませんでした。それは鉄の平和と言えるかもしれません。強力な軍隊による力の支配による平和です。すべての国々はローマに統合されました。帝国があまりに強力なので、すべての抵抗勢力は潰されました。福音書に記されている人口調査はその表れです。帝国の税金徴収と兵隊の徴兵のためでした。その命令は有無を言わさぬもので、ヨセフとマリアのように貧しく、臨月でありながらも三日もかかる旅をして登録をしなければなりませんでした。そのような平和です。
 さらに平和は不自由な平和というものもあるかもしれません。世の中が格差社会であっても、差別社会であっても、一部の裕福な人々が富のほとんどを所有している不平等であっても、または一部の人々がひどい人権的な差別を受けていてもそれで安定している不平等な平和です。天使が告げた平和とはそのような平和ではありません。すべての人の喜びをもたらす平和です。この平和のキーは貧しさです。世界の最初のクリスマスは貧しさの中にありました。マリアとヨセフは貧しい夫婦でした。ベツレヘムの旅は貧しい旅でした。泊る部屋もなく、生まれた赤ちゃんはベッドもなく、寝かされたところは飼い葉おけでした。その貧しさの意味するところはへりくだりです。神の御子が私たちの貧しさの中まで下ってくださったというへりくだりです。 あなたの平和はあなた自身のへりくだりに宿ります。柔和でへりくだった主イエスがあなたの心に宿る時にあなたに平和が与えられます。それは力による平和でもなく、相手に勝つ平和でもなく、不平等な平和でもありません。真に暖かい、喜びの平和です。神を愛し、隣人を愛するへりくだりから生み出される平和です。 主イエスは、貧しい飼い葉おけに寝かされたように私たちの貧しさの中に宿ります。平和は私たちの貧しさから始まります。2000年前にお生まれになったイエスは今日、あなたの心に宿られるのです。

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