しるしと悪霊の時代

説教題:「しるしと悪霊の時代」
聖書:マタイによる福音書 第12章38~45節
説教:齋藤善樹 師
賛美:新聖歌 第299番「山辺に向かいてわれ」 第154番「来れ友よ共にイエスの」

 イエスはこの時代は人々がしるしを求める悪い時代だと言われました。イエスが悪霊を追い出し、これは神の霊によるのだとイエスが言われたのに対して、パリサイ派の人々は本当にそうであればしるしを見せて欲しいと言ってきたのです。現代人もしるしがないと安心できない世界に住んでいます。ある若い人は信仰を持ちたいのですが、神がいるかいないかで悩んでいました。もし、神がいるなら、神の力で人類全体が信仰が持てるように出来るのではないか、今の世界がそうなっていないのは神がいないという事ではないかというのです。その人はある意味、しるしを求めていらっしゃったのだと思います。

 信仰も何かはっきりした「しるし」があれば信じやすいかもしれません。私は若い時にあることで困り、悩んだことがあります。真剣に神に何度も祈ったのですが、答えられません。私は神からのしるしを求めていたのだと思います。神は私の思うようには答えられませんでしたが、私の想像を超えたところで神は答えて下さったことを経験しました。

 神は私の祈りを確かに聴いてくださって、応えてくださいますが、それがしるしとして私の信仰の唯一の土台になるわけではありません。自分の願うように答えられたら信仰が増して、答えられなかったら減るというのでは土台になりません。私たちの信仰の土台となるしるしがあるとしたら、それはただ一つ、ヨナのしるしだというのです。ヨナは大魚に飲み込まれて三日三晩その腹の中にいたと聖書は告げます。しかし、生き返るようにして地上に現れ、ニネベ(今のイラク)の人々を救ったという話です。イエスは、ヨナの物語を通してご自分の復活のことを話されています。私たちの信仰の土台は、イエスが私のためによみがえってくださったという事実であり、しるしなのです。イエスの復活を通して与えられる永遠の命は、将来への希望だけではなく、今の生活を豊かにしてくださるのです。

 また、イエスは、この時代は、悪霊の時代でもあることを一つの譬えで話されました。人間にとり憑いていた一匹の悪霊がエクソシストのように追い出された。悪霊はしばらく新しい住処を求めてうろうろしていましたが、行き場所がなく、元の場所に戻ろうとした。すると自分が荒らしたはずの家はきれいに掃除がされ、飾りつけもされていて、しかも空き家だった。これは居心地が良さそうだと思って、自分だけではなく他に自分よりも悪い仲間の悪霊を7匹連れてきて、その家の状態はさらに悪くなってしまったという話です。12章の初めにイエスご自身が悪霊を追い出された記事があります。イエスが話している民衆の中にはイエスによって悪霊を追い出していただいた人たちもいたことでしょう。君たち、気をつけなさい、前よりも悪い状態にならないようにと警告されたのかもしれません。

 ある人々は救われてクリスチャンになった時に悪い習慣から解放されるという経験を持ったかもしれません。ある方はドラッグやアルコール依存症から。いわばそれは悪霊を人生から追い出したということです。しかし、一度悪霊を追い出したからと言って高ぶることは出来ません。その心がきれいになっていても空き家になっていたら、悪霊が再び戻ってきて、前よりも悪くなってしまうかもしれないというのです。今の時代はそのような油断できない時代なのです。悪霊を追い出した後は心が空っぽでむなしい状態にしていけません。悪霊ではなく、聖霊に満たされている必要があるのです。日ごとに聖霊が私たちの生活の中に住んでいただくのです。万一、悪い習慣が戻ってくることがあったとしても、イエスに願えば、イエスは何度でも私たちを赦し、私たちの生活から悪霊を追い出してくださいます。

◆送迎バスの東村山駅の出発時間は10時10分です。

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