神の前に富む人生

説教題:「神の前に富む人生」
聖書:ルカによる福音書 第12章13~21節
説教:吉村 光 修養生
賛美:新聖歌 第21番「輝く日を仰ぐとき」1,2,3,4,5 第172番「望みも消えゆくまでに」1,2,3

 ある人がイエスさまに遺産のことで訴え出ました。どうやら、この人の兄弟は、親か
ら受け継いだ遺産を独り占めにして離さない人だったようです。けれども、イエスさ
まは「あらゆる貪欲に気をつけ、用心しなさい。有り余るほどの物を持っていても、
人の命は財産にはよらないからである」と言われました。この「貪欲」とは「もっと
欲しいと思う心」のことをいいます。イエスさまはこの貪欲というものが「もっと欲
しい」というところで終わらないことを明らかにされます。

 金持ちの畑が豊作でした。この豊作は彼のもっている倉だけでは納まりませんでし
た。彼は今持っている倉を壊し、新しい倉を建て、豊作を全て手に入れたのです。金
持ちは貪欲の最終的なゴールに行き着きました。もう一生懸命生きるために必要なも
のを欲しがる必要はありません。そこで、金持ちはこう言いました。「魂よ、この先
何年もの蓄えができたぞ。さあ安心して、食べて飲んで楽しめ」。

 私たちが死を迎える時に、たくさん貯めた遺産は魂の慰めになり得るでしょうか。
いえ、たくさんの物があっても、人生の終わりにそれは魂の慰めにはなり得ないので
す。そんな私たちをイエスさまは憐れんでおられます。なぜ、あなた方は人生の終わ
りの時に、魂を本当の意味で満たすことのできるものを喜びとして生きることをしな
いのか、と。

 旧約聖書のヨセフは、イスラエル人にも関わらずエジプトの総理大臣になった人で
した。しかし、彼は多くの苦しみの中を通って来た人でした。ヨセフは17歳の時に、
10人の兄たちによって、エジプトに奴隷として売り飛ばされ、奴隷として売られたエ
ジプトでも散々な目に遭い、冤罪で10年以上牢屋に入れられました。エジプトの総理
大臣という成功。奴隷や牢屋での生活。ヨセフは波乱万丈の人生を通って来ました
が、彼は自分の人生を神が導いておられたと受け止めました。神の前に富む者。それ
は、自分の人生に確かに神が働いておられ、自分を導いてくださり、そして今の自分
があると確信する者です。その確信によって、私たちは魂に平安を語りかけることが
できます。

 しかし、私たちが、神が私たちの人生を導いてくださったと受け止め、今の自分が
あると確信することは決して簡単なことではありません。私たちは、人生の中に神を
見出せないからこそ、自分のために財産を蓄え、自分自身の力で生きていこうとする
からです。

 だからこそ、神はイエスさまを私たちに与えてくださいました。イエスさまの生涯
は、神の御子であられるのに人としての苦しみを知っておられるものでした。仲間で
あった弟子たちからも裏切られ、嘲られ、最大級の肉体の苦しみを十字架の上で受け
られました。しかし、そのような苦しみの中でさえ、イエスさまは神の前に富んでお
られました。イエスさまご自身、苦しみの中で「父よ、私の霊を御手に委ねます」
と、神によって自らの魂に平安を呼びかけておられたからです。イエスさまは死なれ
ましたが、三日目に復活されました。それは、神がイエスさまを捨ておかず、死を打
ち破り死に勝利する形で、神の前に富むことの意味を現わされたからです。私たちは
このことのゆえに、死に臨む時にさえ、自分の魂に「安心してこのお方に全てを委ね
よう」と言い聞かせる者とされているのです。

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